ぐったりと四肢を伸ばしている朱王房の姿をながめて、孤雲は、落涙しながら、
「若様、おゆるし下さい、あなたを、範宴御房にも劣らぬ立派な者にしたいばかりに、かような手荒な真似もするのですから」
取り縋(すが)って、詫びていたが、気づいて、
「そうだ人が来ては」
と、にわかに鋭くなって、四辺(あたり)を見まわした。
幸に、性善房の落して行った笠がある、それを、朱王房の頭にかぶせて、背に負おうとすると、朱王房は、うーむ、と呻(うめ)いて、呼吸(いき)をふきかえした。
だがもう暴れ狂う気力はなかった。
永い土牢生活のつかれも一度に出たのであろう、孤雲の肩にすがったまま、ぐったり首を寝せていた。
孤雲は、谷間に下り、水にそって、比叡の山から里へと、いっさんに逃げて行った。
東塔の無動寺には、近ごろ、推さない住持が来て、日ごとに勤行の場(にわ)へ見えるようになった。
いうまでもなく範宴である。
境内の一乗院が、彼のいる室と定(き)められた。
そこで彼は、四教義の研究に指をそめた。
その四教義を講義してくれる人は、東塔第一という称のある篤学家の静(じょう)厳法印(ごんほういん)だった。
静厳は、彼の才をひどく愛した。
少納言、少納言といって、自分の子のように寺務の世話までよく面倒を見てくれた。
するとある日、その静厳が、何か、報(し)らせに来た若い法師たちを罵っていた。
「なに、まだ見つからん。そんなはずはないぞ、山狩りを始めてから、もはや今日で二十日にもなるではないか」
「しかし、木の根をわけても、分からないのです。所詮、この様子では、麓へ走ったにちがいないから、一度山狩りを解いて、世間のほうを探してはどうかと、西塔の衆も、申しておりますが」
「西塔の者は、西塔の考えでやるがよい。こちらは、飽くまで、本人が、食物に困って、姿をあらわしてくるまで、固めを解いてはいかん」
静厳に一喝されてすごすごと、谷の方へ下りてゆく法師たちの疲れた姿を、範宴は、一乗院の窓から見ていた。
何のための山狩りか、範宴には、よくわかっていた。
で、心のうちで、
(どこかの樹の下で、あの主従は、この雨に打たれているのではないか)と人知れず案じたり、また、朝夕の食事に、箸をとる時も、ふと、(あの主従は、何を食べているだろう?)と思いやった。
しかし、それから、七日すぎても、十日すぎても、土牢を破った者が捕まったという噂は聞こえてこなかった。
叡山には、夏が過ぎ、秋が更け、やがて雪の白い冬が訪れた。
雪に埋った一乗院の窓からは、どんな寒い晩も、四教義を音読する範宴の声が聞こえてこない晩はなかった。