お念仏とは、
「南無阿弥陀仏」
「なんまんだぶなんまんだぶ」
と声に称えることを言います。
口に称え、声に出してお念仏する姿勢が、浄土真宗の要であります。
親鸞さまは、南無阿弥陀仏とお念仏する姿を、
「阿弥陀仏からの私への呼びかけ」
と味わい、受けとめていかれました。
南無阿弥陀仏は
「名号」
とも言われます。
名号とは、その漢字を一つずつ紐解きますと、まず
「名」とは、「夕暮れ」に「口」と書きます。
この文字には、夕暮れが迫り、次第に暗くなる中を、我が子を心配する親が口に声を出して子どもを呼び続け、
「お父さんがここにおるぞー」
「お母さんがここにおるよ」
と自分の存在を子どもに伝える様子を表し、
「号」の字は、号令や号泣と書くように
「叫ぶ」様子を表しています。
すなわち、阿弥陀仏が私たちのことをまるで我が子のように心配し、自己中心の暗い心の闇を抱える私たちに南無阿弥陀仏の名をもってその存在を示し、私たちを呼び叫び続けてくださる姿がお念仏であります。
その呼びかけに対し、子どもが安心して
「おとうさーん」
「おかあさーん」
と親の名を呼ぶように、
「南無阿弥陀仏」
と私たちが阿弥陀仏の名を呼ぶ声もまたお念仏であります。
このように南無阿弥陀仏のお念仏には、
「われに任せよ、必ず救う」
という阿弥陀仏の私たちへの願いと、
「あなたにお任せします」
という私たちの思いの両方が込められているのです。
このお念仏の声の響きを、
「こだま」や「山びこ」に譬えることがあります。
山に向かって大声を出すと、その声が山々に反射し、こだまとなって帰ってきます。
もっとも、大声で呼ぶ存在があってこそ初めてこだまが響いてきます。
それと同じように、南無阿弥陀仏という私への大きな呼びかけが私に至り届き、それがこだまとなって私の口からまた南無阿弥陀仏と響きを返されていくのがお念仏でありましょう。
常に私を呼び続けてくださる阿弥陀仏の呼びかけに、しっかり声に出してお念仏の響きを返していくことが私たち念仏者の大切な姿勢です。