おとといも昨日(きのう)もまた今日も、聖光院の人々は師の房の姿を見なかった。
針ほどの光も忌(い)むように一室へ閉じ籠ったきりの範宴は、その中から鋭い声でいったのである。
「誰もここへ参ってはならぬ。私のゆるさぬうちに入ってきてはなりません」
坊官の木幡(こばた)民部は捨てておかれないというように、性善坊や覚(かく)明(みょう)と膝ぐみになって憂いの眉をよせ、
「医家を迎えて、診(み)ていただいては――」
と嘆息(ためいき)にいう。
「お怒りになろう」
二人は首を振った。
「この身に、医や薬(くす)師(し)はと、先ごろもきついお顔つきで仰っしゃられた。吾々には推し計れぬご気質なのじゃ、また、そのご気質でぶつかったものを解くなり頷(うなず)くなり打ち砕くなりしてしまわぬうちは、よい加減にご自身をなだめて生きてはおられぬお方なのだ。心配になることはご同様だが、まあもうしばらくなされるままにして見ているより他(ほか)あるまい」
誰よりも幼少から師の房の性質を知っている性善坊がいう言葉なので、それに従うほかはないと民部も覚明も黙ってしまう。
民部は師の房にかわって寺務の一切を見ておるのでそれに心をとられて落着いてもいられなかった。
覚明の方は楽天的なところがあって、
「そうだとも、われらよりは深い思慮で遊ばすことだ。つまらぬ憂いは、かえってご思念の邪(さまた)げになる」
すると黄昏(たそがれ)の寂(じゃく)とした物静かな空気が、伽藍(がらん)の高い天井から圧(あっ)しるように下りてきて、若僧が内陣の釣(つり)燈(どう)籠(ろう)に灯(ひ)をくばりかけたころであった。
まだほの白い方丈の庭(にわ)面(も)にあたって、何か、大きな物音がしたのである。
つづいて、性善坊の名を呼ぶ声がする、幾度もつづけざまにする、紛(まぎ)れもなく師の房の声だった。
「はいっ、はいっ」
性善坊は何ごとかと思いつつ駈けていた。
一室の戸はあいているが範宴の姿は見えない。
ふと見るとその範宴は庭に立っていた、足もとにはちょうど今日あたりがいっぱいに開いていたと見える白磁(はくじ)の壺(つぼ)の牡丹(ぼたん)が、その壺ぐるみ庭石に抛(なげう)たれて微塵に砕けているのだった。
「あっ……どうなされました」
「性善坊か」
範宴の声は静かだった、壺と牡丹を微塵に砕いた人とはみえない、夕明りの下に立って、凄いほど蒼白くその顔は見えたけれど、雲の切れ間を見つけて一縷(いちる)の光を投げかけているような眉にも見える。
「わしの部屋の隅に竹の杖(つえ)があろう」
「杖ですか」
「そうだ、苦行の旅に、この身と共に、幾年(いくとせ)も歩いたあの竹杖。それを持って庭へ下りてくれ」
「どうなさるのですか」
いわるるまま、杖を持ってくると、範宴は大地に坐っていた。
ひざまずいてさし出すと、範宴はその杖を性善坊に持たせて、首を垂れていった。
「性善坊、おん身を仏陀(ぶつだ)と思い参らすゆえ、おん身はかりに仏陀となれ。わしは仏子(ぶっし)にあるまじい心病にとりつかれ恥かしい迷路を幾日も踏み迷うていた、犯さねどすでに心は汚罪を冒(おか)したに等しい。――打ってくれい。その竹杖で打たれたら、過去の苦行が甦(よみが)えってこよう。皮肉の破れるまで打て、わしを師と思わず打て、仏陀のお怒りをその杖にこめて――」