「まだある!」
押かぶせるように四郎は右の肩を上げていった。
「おれは天下の大盗だ。盗賊の慾には限りというものがない。汝(うぬ)の生涯につきまとうて、汝(うぬ)を囮(おとり)に財宝を集めさせてはせびりに来る。今夜は初手の手(て)付(つけ)というものだ」
「生涯、この範宴から財をしぼりとるというか」
「おれは、貴様の弱点を握っているからな。――いやともいえまい」
「さように財物を集めておもとはいったい何を築きたいのか」
「死ねば、おさらばを告げるこの世に、物を築いて置く気などはさらさらない。みな、飲む、買う、耽(ふ)ける、あらゆる享楽にして、この一身を歓(よろこ)ばせるのだ」
「歓ばせて、どうなるか」
「満足する」
「それは、肉体がそう感じるだけのもので、心は、その幾倍もの苦しみや、空虚を抱きはせぬか。人間は、霊と肉体とのふたつの具現じゃ。肉のみに生きている身ではない」
「小理窟は嫌いだ、理窟をいってるやつに一人でも幸福そうに生きている者はない。とにかく俺はその日その日が面白くあればいい、したいことをやって行く」
「あわれな男のう」
「誰が」
「お汝(こと)じゃ」
「わはッはははは」
四郎は高い天井の闇へ洞(どう)然(ぜん)と一笑をあげて、
「こいつが、てめえ自身の不(ふ)倖(しあわ)せも知らずに、俺を不(ふ)愍(びん)だといやがる」
かた腹が痛そうにしていったが、ふと、範宴の一語が頭の隅で気になるらしく、
「おれのどこが、あわれなのか、あわれらしいのか、いってみろ」
「おもとのような善人が、会うべき御(み)法(のり)の光にも浴さず、闇から闇を拾うて生きていることの、何ぼう不愍にも思われるのじゃ」
「やいっ、待て」
四郎は大床を一つ踏み鳴らして、
「おれを善人だと」
「されば、そういった」
「すこし気をつけてものを吐(ぬ)かせ」
この天城四郎を善人だといった奴は、天下に汝(うぬ)をもって嚆(こう)矢(し)とする。
第一、俺にとって大なる侮辱だ。
おれは悪人だ、大盗だ」威(い)丈(たけ)だかに彼がいうのを冷(れい)寂(じゃく)そのもののような容姿(かたち)でながめ上げながら、範宴は、片頬にうすい笑(え)くぼをたたえた。
「おもとは弱い人間じゃ。偽悪の仮面(めん)をつけておらねば、この世に生きていられないほどな――」
「偽悪だと。ふざけたことをいえ、俺の悪は本心本性のものだ。人のうれいを見て欣(よろこ)び、人の悲しみや不運を作って自分の快楽とする。自分一つの生命(いのち)を保つためには、千人の人間の生命を殺(あや)めてもなお悔いを知らぬ。かくのごとく天城四郎は、無慈悲だ、強慾だ、殺生ずきだ!そして、女を見れば淫(みだら)になり、他人の幸福をみれば呪詛(じゅそ)したくなる。――これでも俺を善人というか」
「まことに、近ごろめずらしい真実の声を聞いた。話せば話すほど、おもとはいつわらぬよいお人じゃ」