念仏――ただ念仏を。
父は、自分の幼い時から、なにかにつけそう教えた。
師の法然もまたいった。
良人も、常にそれをいう。
(ただ念仏を)彼女の教養と婦(おんな)の道は、したがって、まだ処女(おとめ)のころから信仰がその根本になっていた。
掌(て)をあわせ、心を静寂(しじま)の底に澄ませると、どんな時でも、清々(すがすが)と、真如(しんにょ)の月を胸に宿すことができた。
夜が更けてゆくらしい。
この草庵は、玉日と善信と二人の愛の巣である、また新世帯であると共に、生活は、厳格な寺となんの変りもなかった、朝夕の勤行(ごんぎょう)はいうまでもなく、夜は学び、朝は早い習慣なのである。
弟子僧たちは、宵のうちは、それぞれ貧しい灯をかかげて、書を読み、経(きょう)を写し、ひそやかな話し声が洩れていたが、やがて、定めの時刻がくると、彼女の坐っている持仏堂の外の縁まで来て、
「おやすみなされまし」
「先にやすませて戴きます」
と、次々にあいさつをいって、ほどなく、しいんと、寝しずまってしまった様子であった。
――その後は、近くに人家とてはないこの岡崎の一草庵は、ただ松をふく暗い風の声があるばかりで、人々が寝についてからは、よけいに寂として、かなり離れている白河の水音までが、淙々と松風にまじって聞えてくる。
だが――その松風や水音が、玉日の耳に聞える時は、玉日は、口に念仏をとなえながらも、心はいつのまにか、良人を考えているのであった。
はっと気がついて、
(これではならない――)
と思って、一念になろうと努めるのであったが、努めようとする気持は、かえって、心を乱してきて、父のいうような、また師の教えるような、ただ念仏の三昧(さんまい)にはかえって遠くなってしまう。
(女というものは、どうしてこんなに、情(じょう)痴(ち)なのであろう)
玉日は、自分の心をふかく掘り下げてみて、そこにわれながら浅慮(あさはか)なさまざまな邪推やらひがみが根を張っているのに気がついた。
口に念仏をとなえていても、その奥底の心からは、
(もしや良人は、自分がいやになったので、このまま、帰らないつもりではないかしら)とか、
(旅の先で、誰かまた、お目にうつる女性(にょしょう)でもあるのではないかしら)とか、それはおよそ、教養のある女性が持つ邪推ではないと、自分でもいやしめられるような想像までが、頭のすみにのぼって、念仏をみだすのであった。
あさましい。
こんなことに悩み、こんな程度の寂しさに堪えられないくらいなら、なぜ自分は、沙門の妻になったかと、自身を自身で叱ってみても無駄だった。
生命を賭(と)しても――一族の者はおろか、社会の全部に反(そむ)かれても――とあれほどな意志のもとに恋してかかったころの強い自分を今、呼びかえしてみても、なんのかいもなかった。
「ああ、お会いしたい」
思慕は、身を焦(や)いてくる。
くるしい冷(れい)寂(じゃく)な中にある炎の身が彼女であった。
すると――風でもない、狐(こ)狸(り)とも思えない。
誰か、草庵の外で、跫音(あしおと)がする。
そして、しきりと戸をたたく者があった。