善信は、その後、独りでこういう問題について考えてみた。
「この間のああいう論争が起るところを見ても、まだ他力念仏をこれほどお説きになっている上人の真意は、幾人もほんとに理解していないのだ」
心細い気持がするのであった。
「叡山(えいざん)三千房が、こぞって迫害の手をのばそうとしている折、また、栂尾(とがのお)の明(みょう)慧(え)上人があのような論駁(ろんばく)を世上に投じている場合、ご随身の高足ともあろう人々が、まだあんなことをいっているようでは、浄土門の心理の芽は、せっかく大地を割ったばかりで無碍(むげ)に踏みにじられてしまう」
そう、彼には、案じられた。
「――一つ師を仰ぎ、一つ真理にすがり、室を共にし、寝食まだを同じゅうしても、それが、真(まこと)の道の友とはいい難い。学問や利を同ゅうして集まっていても、その称(とな)える念仏には、まだまだ自力の声があり、他力の声があり、迷いの声がまじっている」
今は、聖道門の旧教と、自分たちの新しい宗教との、いわゆる聖浄(しょうじょう)二教というものが、二つの太い潮流を作って、日本の思想界において、それが、ひところの対立時代から、さらに迫って、まさに、正面衝突をしようとしている。
そういう重大な時機なのだ。
――だのに吉水の内部にある人々のあたまに、まだ、そんな脆弱(ぜいじゃく)なものが残っているようではならない。
断じて、その質を、もっと強固に、明確に、みんなの信念からして、統一したものになっていなければならない。
こう善信は痛感した。
そのありのままの意見を、師の法然に述べてみると、
「よいところへ思いつかれた」
と、その翌る日、すべての門縁の人々へ、集まることをいい触らされた。
その日、法然は、禅房のうちのいちばん広い室へ、席を二つに分けて、人々の集まりを待っていた。
三百名に近い法縁が集まった。
――ころを見て、法然は、
「きょうは、御(ご)覧(ろう)じあるように、信(しん)不(ふ)退(たい)の座と、行(ぎょう)不(ふ)退(たい)の座と、二つに席をわけておいた。
――おのおのはそのいずれの方の座に着き給うか、法然に、示して給われい」
はっ……と人々は顔を見あわせてしまった。
誰も、黙っていた。
容易に、先へ立って座をとる者もなかった。
「みなご遠慮あるとみえる、ではお先に」
と、起ち上がった人を見ると、それは釈(しゃく)信(しん)空(くう)であった。
迷うところなく、信空は、信不退の座へすわった。
「わしも……」
とつづいて、信不退のほうへ坐ったのは安居院(あごい)の法印聖覚であった。
が――それなり、ふたたび、満座には、迷いの眼ばかりが白くうごいていた。
しいんとして、起つ者がない。
すると、禅房の木戸をあけ、庭石に木(ぼく)履(り)の音を高くさせて入ってきた大兵(たいひょう)の僧がある。
「やあ」と、広(ひろ)座(ざ)のていを見て、快活な声を外から投げていうのだった。
「善信どの。なにか、おん身はそこで執筆役をおひきうけのご様子、いったい、きょうは何事があるのでござるか」
まだ失せない武骨な関東訛(なま)りでそういうのだ。
これは、熊谷(くまがい)蓮生房(れんしょうぼう)であることは、いうまでもない。
善信が、
「あなたへは、ご通知が洩れていましたかの。実は、今日は同門一統の者、ここへ集まって、信不退と行不退の二つに座をわけておるところです」
「オオ、しからば、この蓮生も、法縁に洩れてはならん。やつがれはまず、こちらの座をいただこう」
蓮生房は、どかと、これもまた、信不退のほうへと坐った。