親鸞 2016年2月22日

なんにもいわなかった。

善信はただ黙然と聞き終って、

「傷口に風を入れてはならぬ。大事にされよ」

と、いった。

師の房がなにもいわないにしても、その夜の人々は、生信房の話を聞いて、大きな感激につつまれたらしい。

みな敬虔な面持ちをたたえて、

「さ、お寝(やす)みなされたがよい」

と、生信房をいたわった。

幾日かたつと、その傷口も癒え、体の熱もさがった。

生信房は、はればれと床を出て、あしたはまた、町へ布教に出たいなどと友と話していた。

「生信房どの、お師さまが、お呼びになっていますぞ」

「え、お部屋で」

「いや、あの岩にお腰をすえられて」

「あ……」

と、生信房は、庵室の裏のほうへ眼をやって笑った。

師の房は、外で、初冬の陽ざしを楽しんでいるのだった。

「およびですか」

そこへ行くと、

「お掛け」

と、気がるである、師の房の顔までが、きょうは小春日の太陽のようにかがやかしい。

「もう傷口は」

「すっかり癒りました。ご心配をおかけしてすみません」

「さて、それについてじゃ」

――と、善信はことばを改め、

「生信房、おことの身にも、ようよう念仏の光がついて参られたの。いつぞやの話―祇王善信もありがたく聞きました。よい御修行をなされたことを、わしも共々に欣びましょう。このうえとも、その心を、忘れてくださるな」

と、手をとって、わが子がよいことをした折によろこぶ母のように、善信はよろこぶのであった。

「はい……」

生信房は、眼が熱くなった。

どうしてこのごろは、こう涙っぽくなったのかと自分でも思う。

しかし、その涙は、ただごとの涙ではとも思われない。

(――随喜)それだ、随喜の涙である。

生信房は、涙にまたたきながらそう思った。

「そこで――わしもこの間うちから考えていたが」

と、今日はいとも寛(くつろ)いだていで善信は何か述懐しようとするらしい、眼をふさいで、空へ顔を上げていたが、

「――善信。……これはわしの名だが、わしに取ってはなんとのう実(まこと)しやかで、あまりに浄(きよ)い名でもありすぎる。何かこのごろは、わしにはこの名がぴったりしないように思われてきたのじゃ。

――やがて年も四十の坂にちかいでの、三十九歳となったこの身に、なにやら、心にも変化が起ってきたのかもしれん。――とにかく、善信は、わしをあらわすには、ふさわしい名でないように思う」

めずらしいことを話し出される――と生信房は、師の顔を見て、

「そうでしょうか。私などには、すこしもそんな気はいたしませぬが」

と、いった。