赦免の御綸旨をおうけしたからには、いずれ近いうちに都へご帰洛なさることであろう―――
弟子の人々は、そう臆測していた、もちろん、親鸞のこころにも、慕郷のおもいは燃えていた。
(玉日が生きていたら)彼は、妻に一言、このよろこびを聞かせたかった。
添う日までは、お互いにあらゆる苦患(くげん)と闘い、添うての後は、身も心もやすらぐ間もなく流別して、そして、離れたままこの世を去ってしまった薄命なあの妻に――また、次には、
(月輪の舅御殿(しゅうとご)にも)と、思った。
かの人はどうして在るか。
都の様はいかに。
さて――こういうよろこびに遭えば親鸞も凡夫である。
さまざまに、人を想い、郷を想い、年暮の日と共に、心も忙(せわ)しない。
だが――そういう彼の気ぶりや、弟子たちの支度を見て、慈父を失うように悲しみだしたのは、国司の萩原年景をはじめ、この国の頑是ない土民たちであった。
「上人さまは、お帰りになるそうじゃ」
「ほんまか」
「どうして、この片田舎に、御赦免の後まで、お在(い)でになろう」
彼らは、そう聞くと、日ごとに庵へやって来て、
「せめて、もう一年(ひととせ)」
と、拝むばかりに引き止めるのであった。
親鸞は、そういう頑是ない土民には、何とも振り切り難い弱さを持っていた。
土着の人々の切ない気持も無下にできない気がして、初春には、北国を立つつもりでいた予定を云い出しかねていた。
そしてつい、正月は、小丸山の庵室で迎えた。
ここへ来てから四年になる罪の黒髪は、もう肩にかかるほど伸びていた。
今は、晴れてそれを剃り落すことのできる身となった。
その剃刀の日を、親鸞は、元日に選んだ。
西仏が、剃刀を取った。
弟子たちは、居ながれて、劇的な感激に打たれながら、新しい親鸞のすがたを見出していた。
今年、親鸞は、四十の年を迎えたのである。
孔子のいった――四十にして不惑(まどわず)の年へ彼もかかったのである。
二日の朝、都にある叡山の横川の旧友から、赦免を祝う手紙がとどいた。
そのほかの人々からも急に、ここへ届けられる書状が殖えだした。
それらの消息から親鸞は知ることができたのである。
――行往坐臥、心のうちで、気にかけている師の法然上人の安否を。
で――彼が知り得たところによると、師の法然は、去年の十一月下旬には、早くも、恩命に接して、配所の讃岐を船で立たれ、元の吉水禅房へ帰っておられるということであった。
「お目にかかりたい」師を思う時、親鸞は甘える子のように、自分を抑えきれなかった。
(一刻も早く)と思い、
(越しかたのつもる話を)と、矢もたてもなく、慕わしくて会いたくて、じっとしていられなかった。
「わしは、都へ立つ。
――すぐ立つほどに、支度してくだされ」急に、こういい出したのが、正月の二十五日だった。
雪で里の者も通えなくなったころである。