「ほう、わしの生命(いのち)を」
親鸞は、もの珍しいことでも聞くように、微笑をうかべて、
「それは何かの間違いでおざろう。この愚禿の頭(こうべ)など狙ったとて、なんの手柄になるものぞ」
「いえ」
と、その時まで、黙っていた蓮位が、今度は、村の者たちに代って膝をすすめた。
「お師さま、その噂は、真らしゅうございます。私も疾(と)うから耳にしておりましたが、近ごろは、ご遠方へお出ましもなく、また御気色を損じることも無益(むやく)と考えて今日まで黙っておりましたが……」
百姓たちは、蓮位のことばに裏書を得たので、口を揃えていい足した。
「――なんでも、那珂郡(なかごおり)の塔の尾とやらに住んでいる山伏じゃそうな。役(えん)の優婆塞(うばそく)のの流れを汲む豊前の僧都と自分から名乗って、あの辺では、信者も多く、偉う権式ぶっている修験者だそうでござります」
「ホウ……その修験者が、なんでまた、この親鸞の生命(いのち)をうかごうているのですか」
「私の聞きましたところでは――」
と蓮位が述べた。
「お師さまに対して、宗門の恨みを抱いているのではないかのと存じます。――もと、その修験者は、京都の聖護院の御内(みうち)にあって、学識も修行も相応にすぐれた先達のように承っております。―――で、那珂領の国主佐竹末賢(さたけすえかた)殿が、はるばる領下の祈願所へ京都から召し呼ばれ、国中の山伏の総司として崇め、末派十二房の支配をさせているのでござります」
「む……なるほどのう」
「そのため、当の修験者は、数年来、諸人の尊敬をあつめ、飛ぶ鳥も落す勢いにございましたが――折から、お師さまがこの稲田へお越し遊ばされ、ひたすら念仏弘通の教化にお尽しなされましたので、それからというものは、一日ごとに、この地方一帯に、念仏者は殖えて行くばかりですし、修験者の一派は、十二坊ともに、目に見えて衰微して参りました」
「…………」
親鸞はかろく顎をひいて苦笑した。
さてこそ、ここにも小人の嫉視かと、蠅のようなうるささを感じるだけだった。
――蓮位も百姓たちも、いつかは上人の耳に入れて、その対策を講じようとしていたものらしく、
「衰微したと申しても、なにぶん、国主佐竹家の庇護もあり、末派十二坊の勢力は、なかなか侮り難いものの由にござります。――のみならず、極く、近ごろのうわさによれば、その豊前の僧都をはじめ、十二坊の優婆塞の輩(ともがら)が、かくては安からじと、この稲田の草庵を法敵と見なし、街道や諸郡へは、邪教を調伏せよと、愚民をそそのかし、一方、板敷山には、呪詛の壇をしつらえて、日々夜々、山伏の群れが、念仏滅亡、上人調伏の護摩を焚き、精と根のあらんかぎり、親鸞を呪殺せずばおかぬといっているそうでございます」
村の人々も、蓮位のことばの後を継いで、
「何せい、怖ろしい修験者でござりますな」
「役(えん)の小角の再来じゃと、人もいい、自分もいうておりますげな。一度、呪いの行にかかれば、大地を打つ槌は外れようとも、豊前の僧都が調伏は外れぬとは、前からいうておりますことでの」
「どうぞ、柿岡へお越しあそばすことは、お見あわせ下さいませ」
「その板敷山を越えて、どうして、柿岡へ無事で参れますものか」
口々にいって案じる人たちへ、親鸞は、いちいちうなずいて謝しながら、こういった。
「――だが、皆の衆、あなた方が、田に苗を植える時、田に蛇がいるからといって、蛇のいる田を残して行かれるか。今日も話したとおり一念一植、その信業のまえには、何物があろうと恐れることはない。――ご心配なさるな、親鸞は一人で参るのではありません、御仏と二人づれじゃ、ははは……御仏と二人づれでおざるぞよ」