いつまでも、境内を去らない群衆は、鳴りひびく梵鐘のあいだに、念仏を和して、
「あの平次郎でさえ、お上人さまは、お救いくだされた」
「親鸞さまのようなお方こそ、生ける御仏さまというのであろう」
「ありがたい」
「これでわしらの精神(たましい)の曼荼羅もできるというもの」
「安心して働こうぞ」
「楽しんで世を送ろうぞ」
「楽しみがのうてなんの人生ぞや、といつかも仰せなされた。ありのままの相(すがた)をもって、念仏し、世をたのしめとも仰っしゃった」
「こんな歓ばしい日はない」
「吉(よ)い日じゃ」
「めでたい日よの」
百姓たちは百姓たちと、工匠(たくみ)らは工匠たちと、商人(あきゅうど)は商人たちと――またその家族たちと――人々はこぞって親鸞の徳を称え、国主の善政に感謝し、法悦の諸声(もろごえ)は、天地(あめつち)に盈(み)ちあふれていた。
城主の大内国時も、
「政治のための政治ではいけない――まことの民心をつかむのは、まことの心になって、支配者も、一体になることにあるということを今日わしは教えられた。上人は、仏法最高の真理の把握者であると共に、経世救民のうえからも、共に偉大な民治の父でいらせられる――」
と、いった。
相馬の城主高貞や、久下田太郎(くげたのたろう)秀国や、真壁、小栗などの近国の領主たちも、当日の参会(さんえ)によって、みな、少なからぬ感銘をうけていた。
そして、おのおのが、この新しい伽藍へ、応分の寄進を約して、いとも満足げに、やがてそれぞれ帰館の途について行った。
「おまえ様――」
お吉は、そっと、良人の手をとって、ささやいた。
「……もう御堂の内には、どなた様もおりませぬぞえ。お式はすんだのでございます。……さ、さ、おまえ様も、階下(した)へい降りて、お上人様へ、まいちどよく、お礼をいうてくださいませ」
「……ウム、ウム」
素直は唖(おし)のように、平次郎はただうなずくばかりだった。
御堂の両側に、柳と菩提樹を植えて、手を洗(すす)いでいた上人の前へ、夫婦はおそるおそる来て、大地に両手をつかえ、
「ありがとうございまする。……お上人様、なんとお礼を申しあげてよいやら、今はまだ、あまりうれしゅうて、ことばもございませぬ」
といった。
上人は夫婦のよろこび以上に、大きな歓びにつつまれて、ほほ笑んだ。
「みなも帰った。おもとたちも、はよう家へ戻って、きょうから、家の中も、明るくするように努めたがよい。良人、妻、どっち一人の力だけでも、家は明るうならぬ。よいかの、心を共に協(あわ)せて――」
「わすれませぬ」
お吉は掌をあわせた。
すると、平次郎は、大地を摺り寄って、泣き濡れた顔を上げながら上人の袂(たもと)へすがってさけんだ。
「――お救い下さいまし……お救い下さいまし。末永く」
「平次郎は何を悩む、おもとはもう充分に御仏の救いに会っておらるるのじゃ」
「では……私を、御仏のお弟子に加えてくださいまし。上人様のお弟子の端に」
「よし」
――とすぐ上人はうなずかれた。
そして、唯円房(ゆいえんぼう)という法名を、彼のために選んで与えた。