仏さまの縁に出会うことを仏縁という言葉で言いますが、最近お寺へお参りされますご門徒の方には、必ず『よき仏縁に出会わせていただきました』とお伝えしています。
法要は亡くなられた方を偲んで勤めることが多いのですが、その法要が終わった時にこういったことをおっしゃる方が時々おられます。
『どこで手を合わせてよいかわからなかったので、手を合わせられませんでした、どうしたらよいでしょうか』
そういった方には、
『お気になさらず、終わってからでも結構ですし、合掌はいつしていただいても構いません』
とお返事して、少しお話を致します。
読経の後にも時間が許す限り、ご法話をさせていただいておりますが、そのような時にはお経の意味やご法事の本当の目的、そして阿弥陀さまがどのような願いを持たれているかということをお話しします。
そうすると、今まで他人ごとのように、ただ座っていた方たちの目の色が変わり、輝きはじめ、耳を傾けてくださいます。
そして、この法要という仏縁が亡き方がくださったかけがえのないものであると、少しでも気づいてくださいます。
「法事は亡くなった人にお経を手向け、そのために手を合わせる儀式ではなく、私たち生きている者が仏さまの話を聞くことだったのだ」という理解に変れば、これほどうれしいことはありません。
「誰かにいわれるままに、法要のどこかで意味もわからないまま手を合わせる」というのではなく、仏さまに手を合わせるということでどういったことを感じとっていけるか、その仏縁を喜んでいけるかが重要です。
「手が合わさる」ということは、あなたのいのちがそこにある、ということです。
いのちがなければ手を合わせることもありませんでしたし、今の私はここには存在しません。
そしてお念仏を称えると、仏となっていかれた方のお心がお念仏となって、私の声となって、仏のお心となって、私のこの身に響いてくださるのです。
ただただここに漠然とある命ではなく、見えないところでそのように私の命を願っておられる、私の命を支え、常にはたらきかけとなってくださっている無数のいのち、そして、どれほど月日がたっても目には見えなくても、たしかにそこにあるはたらきかけに感謝の心をもっていくことが大切です。
法要のなかで手を合わせていただくことで、無数のいのちの支えがあることを感じながら、仏縁を喜ばせていただきたいものです。
お気になさらず、いつでも手を合わせて仏縁を心から大切に味あわれてください。
法話を書かせていただくことで、私もよき仏縁に出会わせていただきました、ありがとうございました。