「永代経法要」とは、私のもとへ阿弥陀様のみ教えを伝えてくださった方々に感謝をしながら、これから先の世代にも阿弥陀様のみ教えが途切れることなく伝わっていきますようにとの願いをこめて勤められる法要を永代経法要といいます。
永代経という名前のお経があるのではりません。
真宗門徒である私たちが拠り所とさせていただきますお経は仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経の三つです。
これを浄土三部経と言われます。
私たちが暮らしている「世間」とはいう場所は、生滅変化してゆく世界です。
手放したくないもの、手に入れたいものはすべて壊れてゆきます。
だからこそ苦しみが多い場所です。
その中で苦悩する私たちを包み込み、必ずお救い下さる阿弥陀様が今いらっしゃるという事をお釈迦様がお示しくださっていますのが浄土三部経です。
つまり阿弥陀様のみ教えが書かれております。
親鸞聖人が教行証文類の最後に「安楽集」から次の御文を引用されました。
「前(さき)に生れんものは後(のち)を導き、後(のち)に生れんひとは前(さき)を訪(とぶら)へ、連続無窮(れんぞくむぐう)にして、願はくは休止(くし)せざらしめんと欲す。
無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり」ここに親鸞聖人のお心が伺えます。
親鸞聖人は、直接的には法然上人になるのでしょうけれども、自分の所まで阿弥陀様のみ教えを伝えてくださった多くの方への感謝の気持ちを持たれ、この御教えを次の世代の者たちへ伝えていきたいと教行証文類をお書きになれたのではないかと伺います。
私たちもそのお心に沿い、私の元へ阿弥陀様のみ教えを伝えてくださった方々へ感謝をしながら、次の世代にも伝えていかなければいけません。
この願いの元に勤められますのが永代経法要です。
昔から真宗門徒は永代経法要を、亡き方、ご先祖方への感謝を表す場としても大切にしてきました。
その意味は、先だっていかれた方が良いところに行くようにというような追善供養の意味ではありません。
お念仏申すご縁を私に結んでくださったことへの感謝です。
「南無阿弥陀仏」のお念仏には大きな大きな功徳があるのです。
永代経法要へどうぞお参りください。