先日、知人の結婚式があり沖縄に行って来ました。
2泊3日の日程の中で、1日だけは自由な時間がとれましたので、車を借りて那覇市を中心にドライブをしました。
夕方の那覇の街を車で走っていると、東の空に米軍の軍用機オスプレイが飛んでいました。
私の見た感じでは、プロペラが斜めの方を向いており、那覇市内を北の方角に飛んでおりましたので、おそらく普天間基地に帰るところだったと思います。
報道などによると、オスプレイのプロペラを横から上方向へ、あるいは上から横方向はシフトチェンジする時に事故が起こっているそうでして、沖縄でも一番人口の多い那覇市中心部の上空で、まさにそのシフトチェンジが行われているところでした。
オスプレイを見た夜に、那覇市の小学校に通う小学2年生の甥っ子に会いましたので、
「今日、オスプレイ見たよ」
と、わたしが言うと、その小学2年の甥っ子が
「オスプレイは学校から、しょっちゅう見てるよ。
一度に4機見たこともあるよ。」
と言っていました。
これが現在の沖縄の空の現実です。
そのうち日本本土でも、全国的に運用されるような流れになっています。
さらにわたしが驚いたのは、東の空には米軍のオスプレイが飛んでいましたが、西の空には日本の航空自衛隊の戦闘機が4機飛行訓練をしていました。
わたしがいたのは那覇市の中心部、東の空には米軍のオスプレイ、西の空では日本自衛隊の戦闘機。
「沖縄の空はいったい誰のもの?」
あまりの現実に、空を見ながらそんな気持ちになりました。
日本の総面積の0.6%しかない沖縄に、日本にある米軍基地の74%が集中しています。
それに加えて、日本の自衛隊の基地も数か所あるのですから、その数字だけ見ればなんら不思議な光景ではないのですが、いざその大地に立ってみると、その現実は本土でわたしが想像していたそれとは全く違うものでした。
わたしが沖縄に行った時は、沖縄の女性が米軍の兵士2人に暴行を受けて、1週間程経った時でした。
沖縄の方々はその怒りを
「震えるような怒り」
と、表現されておられました。
その沖縄の方々にとって、とりわけ残念でこころを痛められている事が、沖縄の怒りや悲しみが、同じ日本人である本土の人にとって共感されていない事だそうです。
それどころか、
「現在の尖閣諸島、朝鮮半島との問題を考えると、現状の日本にとって米軍は必要なのだから仕方がない。」
というような事を、同じ日本人であるはずの本土の人から、いたみを知らない、怒りを知らない人からの言葉を聞く事もあるそうです。
沖縄の過剰な基地負担の問題は、沖縄だけの問題ではありません。
同じ社会に生きるわたくしの問題でもあるはずです。
以前わたしは、知らない事はもともと知らなかったんだから仕方がない事だと思っていました。
しかし、知らないでいることが、いや知ろうともしなかった事が、言い換えるならば私が無関心でいる事が、無責任でいる事が沖縄の方々に、さまざまな場所で生きづらさを感じている方々に、あきらめや孤独を、さらなるいたみを強いているのかもしれません。
沖縄の空は、わたしに私自身のあり方を問いかけているようでした。