鹿児島では、一般に亡き方の法事を営む場合、「ご供養をあげる」と言います。
「供養」の内容はいわゆる「追善供養」といわれるもので、調べると
「生きている人が亡くなった人に対して行う供養のことです。
故人の命日に法事を行い、冥福を祈って供養することをいいます。
追善の文字があらわすように、生きている人が行う善行を持って、亡くなった人の善行になる、それがまた自分に戻ってくるという考え方です。」
といった説明がされています。
けれども、私のなした行為を亡き人は本当に受け取ってくださるのかというと、確かめようがないので、「してもしなくても同じではないか」という疑問がわく人がいるようです。
これは、何も現代の人だけではなく、既に紀元前にも同じ疑問を感じた人がいました。
紀元前2世紀後半、アフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人、インド・グリーク朝の王メナンドロス1世(ミリンダ王/漢訳経典では弥蘭、あるいは弥蘭陀王と音写)です。
この王と比丘ナーガセナとの問答を記録したものが「弥蘭陀王問経」として伝えられています。
ギリシャ人らしい論理的なものの考え方をするミリンダ王は、亡くなった仏陀(お釈迦さま)に対して供養を営むことがどうしても理解できませんでした。
そこで、ミリンダ王は次のように問いかけました。
「尊者(ナーガセナ)よ。もし仏陀が供養を受けるならば、仏陀はなおまったく寂滅(涅槃の境地。ここでは死を意味する)したとはいえない。仏陀はまだどこかに生きていて、世間と結びついていなければならない。もし、仏陀が本当に亡くなったのであれば、そのような者を尊崇し供養することは無意味ではないか。尊者よ、この両刀論(結論がどちらになってもいいように組み立てる論法)を私のために解いてほしい。」
これに対してナーガセナは、次のように問いました。
「大王よ。仏陀は寂滅されました。もはや、なんの供養を受納されません。だが大王よ。炎々たる火が燃え尽きて消えてしまった時、この世には火がなくなったのでしょうか。」
すると、ミリンダ王は、次のように答えました。
「いいえ、尊者よ。そんなことはありません。また火を必要とする者は誰でも、自分の力で再び木片を回 し、あるいは火打ち石をもって火をおこし、それで火の必要な仕事をすることができます。」
すると、ナーガセナは次のように言いました。
「大王よ、だから私は、仏陀はすでに寂滅し、供養を受納しないはずであるから、そのような者に対してなされる供養は空虚であり、無益であるというのは間違っていると申し上げたのです。
大王よ、炎々たる炎のように、仏陀は生きている時は十方の世界を照らされました。
いま仏陀はその炎が燃え尽きて消えるように、十方世界を照らし終わって寂滅されました。
もはや、仏陀はこの世になんの供養も受納されません。
けれども、火が消え去っても人々はまた火を必要として、自分の力で再び火を起こさなくてはなりません。
それと同じように、たとえ仏陀は寂滅されても、人々はその教えを仰ぎ、その実践のあとを慕っていきます。
その時、仏陀にたいしてささげられる尊敬と供養とは、たとえ仏陀がそれを受けなくても、けっして空虚でもなく、また無益でもありません」
ナーガセナは、さらにいくつかのたとえをあげて説明しました。
ミリンダ王は、それらの説明に納得して、「いまこの難しい両刀論は、ナーガセナによって裁断された」と賞賛したと伝えられます。
浄土真宗では、亡くなられた方は阿弥陀仏の願いのはたらきによってその浄土に生まれ、仏の覚りを開かれると教えています。
そうすると、少なくとも浄土真宗にご縁のあった方に対する供養は「追善」、つまり「私が亡くなった方の冥界での幸福を願って行う」といったあり方ではないと言えます。
なぜなら、亡くなられた方は冥界に往かれたのではなく、阿弥陀仏の浄土で既に仏さまになっておられるからです。
では、浄土真宗における「供養」とはいったい何のために行うのかというと、その供養が「追善」ではなく「讃嘆供養」といわれることからも知られるように「仏さまになられた徳をほめ讃える」ためです。
これをナーガセナのミリンダ王への答えになぞらえていうと、
「縁あった大切な方がたは、たとえ亡くなられても、私たちはその人の生涯を仰ぎ、その生き方を慕っていきます。そして、特に亡き方のご命日に私たちが仏事を勤め、その遺徳を讃えることは、まさに阿弥陀仏の徳を讃えることに他ならないのですから、決して空しいとか益のないといったことはありません。」