仏教との出会いについて考えると、一般のご家庭の場合、最初に仏教と関わるご縁はお葬式だという方が多いのではないでしょうか。
ご両親が亡くなり、50代、60代になって、初めてお寺との付き合いが出てくるようです。
この前お葬式があって、中陰(四十九日)のお参りに言った時のことです。
家族の方から、自宅にお坊さんが来たのは46年ぶりだと聞かされました。
お母さんが亡くなったことをご縁にして、お家の方とお寺との出会いができた訳です。
その後、秋彼岸のときご自宅にお邪魔させていただいたのをきっかけに、お家を行き来するようになり、今もお付き合いが続いています。
では私の場合、仏教との出会いはどうだったのかと言いますと、結婚して長男と次男を生んでしばらくしたある時のことでした。
婦人会の方から
「ちょっと太ったね」
と言われたんです。
実際太っていた時期がありましたが、やはりそういうことを言われるとショックで悲しかったです。
それで何かしないといけないと思っていたとき、目の前に本堂と阿弥陀さまがあって、そこから仏教の勉強を始めるようになったんです。
そして、長男が3歳半、次男が1歳3カ月のとき、僧侶の資格を得ることを決めて、そのための研修
「得度習礼」
に行きました。
得度習礼では、勉強をするのも、お風呂に行くのも自分1人の分だけ準備すればよかったですし、食事も全部作ってもらえましたから、とても楽しかったです。
子育てより簡単でした。
得度が終って家に帰ったときには、私の中で生きがいというか、やることが変わっていました。
とにかく自分が明るくなったように思います。
正念寺では女性僧侶は珍しくありませんでしたし、外国人の僧侶というのも門徒さんに受け入れてもらえました。
門徒さんの家に行くうちにだんだん理解も深まりました。
そして、そこに若い人がいたら、直接声をかけてお寺に呼び込むようにしています。
さて、悲しみや悩み、そういうストレスがたまったとき、人は飲んだり遊んだり、いろんな方法で発散させます。
私の場合は食べることでした。
だから、その悩みや苦しみ、悲しみなどが自分の体に脂肪として出てしまったんですね。
その脂肪のことでいいますと、人間誰でも脂肪がついています。
体脂肪率0%の人はいません。
では、その脂肪には何の意味があるのでしょうか。
例えば、私たちが船に乗っていたときに海に落ちたとします。
それで、もし泳げないとしたらパニックになるかもしれません。
でも、自分で泳ごうとしなくても、落ち着いてそのままにしておけば、まるで見えない力がはたらくように自然と浮かんできます。
しかも、脂肪がついている人ほど浮かびやすいんです。
脂肪は煩悩のようなものです。
脂肪と同じように、煩悩が全くない人はいません。
煩悩が盛んだからこそ、強くはたらいてくださる阿弥陀さまの力というのは、まさに脂肪が多い人ほど浮かびやすくなる見えない浮力のようなものだと言えます。