「六道」というのは何ですか?

六道とは、仏教の説く六つの世界観、苦しみの世界とも言われ、「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天上」の六つを六道と言います。

まず地獄。地獄と聞くと拷問や苦痛が絶え間なく続く恐ろしい世界を想像します。また代表的なのが鬼。金棒を振りかざし相手を痛めつける凶暴な姿が特徴ですが、ふと振り返ってみると、「鬼のような形相」と言われるように、私たちもちょっとしたきっかけや条件が整えば、相手を威圧したり、暴言を吐いたり、度が過ぎると手を出し足を出し、相手を傷つけかねない危うさを持つのも私たちの怖さであるような気がします。

次に餓鬼。これは貪りの姿を現します。あれもこれもと、欲望のままに生きる姿を餓鬼と言います。

畜生とは本能のままに生きる姿であり、目の前の楽しさに振り回されるようにあっちへふらふら、こっちへふらふらと自分自身を見失っている姿であります。

修羅とは争いの絶えない世界、お互いがお互いを傷つけ合う世界です。

そして人間。自分本位にしか生きられない私のありのままの姿が知らされます。

最後に天上。言葉のイメージからは何となく優れた世界のように感じますが、別の言葉で表現するならば、「満足を知らない世界」と言えるかもしれません。

例えば、自分の欲しかった物が手に入ったとします。しばらくは手に入れた喜びと満足で心が満たされるかもしれませんが、その状態が当たり前になってくるとまた次の欲求が出てくるように、まさにこの上なく欲求に溢れ、満足することのない世界を天上というのだそうです。

このように見ていくと、六道とはどこか違う世界にあるとか、自分とかけ離れたところにそういう世界が存在するのではなく、私の心の状態によっては、餓鬼にも畜生にも、修羅にもなれるのが「私」という姿と言えるのではないでしょうか。

仏教は、これら迷いの心をなくして悟りへといたることを目的とし、当然この六道を超えていくことが求められるのですが、もちろんそんなことはできませんよね。生きていれば様々な感情や喜怒哀楽が沸き起こってくるのが当たり前です。これら迷いの心をいかに少なくしていくか、その都度その都度お念仏を鏡としながら、正しい心に立ち返られるようありたいですね。