「この子は生まれて六か月のいのちでした。」
少し前のことにはなりますが、六か月で突然亡くなった男の子のお通夜お葬儀をお勤めする縁がありました。
初七日から毎週毎週お参りをさせていただきました。
そして、迎えた四十九日法要の日。
法要がおわり、一人二人その法要の場から立ち去り、お母さんと私の二人だけが残りました。
そのときにお母さんが
「この子は・・」と語り始めました。
元気に生まれて、首も座り、寝返りもうち、成長を楽しみにしていた矢先、
六か月で本当に突然、その男の子は亡くなっていきました。
「長く生きていれば、お友だちもできるし、いろんな人の中に、この子が生きていた記憶は残っていくと思います。
でも、この子はたった六か月でした。
だから、この子が生きていたことを覚えてくれている人はいないだろうなと思います。」
確かに、亡くなった方との思い出は、一緒に生きた方々の中に残り、簡単に色褪せることはありません。
懐かしく思い出したり、あの時はわからなかったりしたけれど、こんなことを教えてくれていたんだよなと
教えや励まし、時には叱咤激励ともなって、私たちの今とともにあります。
でも六か月のいのちであったとしたら、そのように多くの方の心の中にとどまることは難しいかもしれません。
「でも、憶えてくれていないと人を恨む気持ちはないです。
仕方がないですもんね。
ただ、この子が生きていてくれたことを私は決して忘れません。
私のおなかの中で生きていてくれたこと、元気に生まれてきてくれて
私たち夫婦や、両親やたくさんの人に喜びを与えてくれました。
この子が生きていてくれたことの証を私はしっかりと私の中に残していたいと思います。」
涙をたたえながら、悲しみの中ではありましたが、母親としての力強さと覚悟をまるで自分に言い聞かせるように語るその言葉一つ一つに感じていました。
今でもあの時のお母さんの表情も語ってくれた言葉の一つ一つもまるで昨日のことのように覚えています。
そしてお母さんはこう語り問いかけてくれました。
「もしも、もしも、もう一度この子に会えるのならば
私は、あなたのお母さんとして、しっかりと生きてきたよって言いたいです。
胸を張って、言いたいです。
・・・・・・・
・・・・・・・
もう一度会えますよね?」
その時私は、お母さんが語りながらずっと手元に持っていたお経の本を受け取り、ページをめくってもう一度お母さんに返しました。
仏説阿弥陀経の「倶会一処(くえいっしょ)」という言葉が書かれてあるページを開いて。
「倶会一処」この言葉は、仏さまの世界(阿弥陀如来のお浄土)に生まれて、みんな仏さまとなって再び出会わせていただくのですよ、ということを教えてくださっている言葉です。
私たちは、確かにまた出会える世界を頂いているのです。
その「倶会一処」のことばを紹介しながら、私はもう一つ、親鸞聖人の言葉も紹介していました。
「恋しくば 南無阿弥陀仏を称ふべし
われも六字の うちにこそ住め」という言葉です。
先に亡くなっていかれた方は
仏さまの世界(お浄土)に生まれさせていただいきます。
でも、ずっと遠い仏様の世界(お浄土)にいらっしゃるわけではないのです。
よく「お空の上からみていてね」という言葉も聞きますが、そんな遠いところにいるのでもないのです。
どこにいるかって?
私の生きている今ここにいらっしゃるのです。
仏さまのおこころとなって、私たちのところに帰って来て、いつでもどこでも、一緒にいてくださいます
いつでもどこでも、支え導いていてくださいます。
「これからは、手を合わせて、南無阿弥陀仏ととなえましょう。
いつでもどこでもお母さんをみていてくださる、仏さまとなった○○くんのおこころと一緒ですよ」
私にはそう伝えることが精一杯でした。
月日は流れました。
お母さんひとりで、或いは御夫婦で法要に参拝されたり、納骨堂にお参りしたりされる姿をちょくちょく見かけます。
今では笑って、こんにちは!と声もかけてくださいます。
そして手を合わせている姿を見せて下さいます。
「○○君とご一緒なんですね」
その姿を見ながら、いつも思っています。