「倶会一処」ということ

「仏説阿弥陀経」に「倶会一処」という言葉があります。これは「倶(とも)に一つの処(ところ)で会(あ)う」ということで、端的には「阿弥陀さまのお浄土でまた共に会わせていただく」という意味です。私たちは、大切な人と死別すると、「もう二度と会えない」ということで深い悲しみに包まれ、言いようのない淋しさに襲われます。けれども、「お念仏の教えに生きるものは、今生で別れても浄土で再び会うことができる」と説かれているのです。

5月の中旬、父が急逝しました。高齢ではありましたが、日頃から健康管理に留意していたこともあり、病気で寝込んだり入院したりするということもなく、94歳になっても午前9時からご法事でお参りに来られるご門徒の方を対象とする本堂での読経・法話も、昨年の6月上旬「ちょっと元気がないから代わってくれ」と言うまで、立派に勤めていました。

「元気がない」というのは、40分から60分ほどの時間、読経・法話をするだけのエネルギーがなくなったということで、食事・入浴等の生活面はそれまで通り自分で行えていました。ところが、その半年後の12月上旬、脱水症状を自覚し、家族に救急車を呼ぶように伝え、自ら救急車に乗って県立の医療センターに行きました。数日で退院・帰宅するものと思っていましたが、高齢ということもあり、そのまま歩けなくなってしまいました。さらに、褥瘡ができたりして、見舞いに行くと大変そうでしたが、頭の方はしっかりしていたので、いろいろなことを語ったりしていました。

その後、年末には民間の病院に転院し、3月上旬には退院して老健施設に移り、春季彼岸会の頃に介護付きの老人ホームに移りました。

12月から2月までは、家族だけは面会することができていたのですが、新型コロナウィルス感染症の感染拡大に伴い、3月以降は家族の面会もできなくなってしまいました。そのため、3月以降父と会うことができたのは、病院から老健施設に移るときだけでした。ただし、老人ホームは「鹿児島県内での感染者が出るまでは」という条件付きで1時間は会えたので、「また会える」と喜んだのもつかの間、すぐに県内第一号の感染者が出たため、また会えなくなってしまいました。

そのため、父の様子は施設の方が週に一回くださる電話連絡によって知るという状況でした。そのような中、5月の連休の折にふと、「携帯電話を届ければ直接会話ができるのでは?」と思い、施設の方に問い合わせたところ、「いいですよ」ということだったので、早速契約して届けました。

携帯電話は父の部屋に置いてもらっていたのですが、ベッドに寝たきりだったこともあり、こちらからかけても自分で対応することができなかったので、着信音に気づいた施設の方が操作して父に渡してくださったり、あらかじめ施設に「今から父の携帯に電話をかけます」と連絡してから携帯にかけたりしていました。ただ「頻繁にかけると 施設の方に迷惑では?」と思ったり、感染症の拡大が収まれば直接会いに行けると期待していたりしたこともあり、電話は週に一回ほどのペースでかけていました。

亡くなった前々日、施設にタオルやバスタオルを届けた際、父は一週間ほど前に熱が出て点滴をしていたのですが、職員の方から「もう熱もさがったので点滴ははずれ、食欲もあって元気にしておられます」という話を聞いて安堵していました。ところが、その2日後の午前3時前、携帯電話の着信音で目が覚め、その施設からだったので「何かありましたか」と言うと、「お父様が息をしておられません。こちらに来ていただけますか」とのことでした。

すぐにかけつけると、「先ほどまで普通に話をしておられたのですが、ふと見るともう息をしておられませんでした」とのことで、まるで眠っているかのような穏やかな顔をしていました。間もなくお医者者さんが来られ、死亡を確認されたあとに書かれた死亡診断書には、「老衰」と書いてありました。特に、どこも悪いところはなく、まさに命の灯が燃え尽きて亡くなっていったという感じでした。

その後、あまりに急なことだったため、死亡診断書をもらっても、にわかには信じがたいものがありましたが、あわただしく葬儀の段取りをしたり、仮通夜、通夜法要を勤めたりしていく中で、だんだん父の死を実感させられていきました。

葬儀では、先輩のご住職に導師と弔辞をお願いしました。父は、先輩の亡くなられたお父さんと長年懇意にしていました。そこで、その方の息子さんである先輩のご住職にあれこれお願いしたのですが、弔辞の中で、先に往かれた先輩のお父さんが、今頃はお浄土で「今でしたか」と言って、父を迎えていることだろうと言われたときに、ふと「そうか! こちらでは深い悲しみの中で葬儀を営んでいるが、きっと今頃お浄土では、歓迎会で盛り上がっているに違いない」と思うと、元気が出てきました。

父は数えの97歳で往きましたので、近隣の寺院をはじめ、教区内で親しかったご住職方は、ほとんどが既にお浄土に往っておられます。また、祖父が若くして亡くなったため、父は大学卒業後すぐに住職を継ぎ、50年余り勤めました。さらに私に住職を譲ってからも、20年近く本堂での午前9時からご門徒の方の仏事を勤めてきました。そのため、多くのご門徒の方も集まってこられたのではないかと思います。

また、父は普段の法事や彼岸会・報恩講などの法要の折りには、必ずご門徒の方々に「ようこそ、お参りくださいました」と声をかけながら、お見送りをしていました。そこで、入院中は「また、なんとか歩けるようになって、参詣されたご門徒の方のお見送りができるようになりたい」と話していました。残念ながら、その願いは叶いませんでしたが、きっと今頃はお浄土に往かれたご門徒の方々をお待ち受けしているに違いないと思っています。

不思議なもので、これまでそのようなことは思い浮かばなかったのですが、父が亡くなってからご門徒の方のお葬儀を勤める際は、「○○さんがそちらに往かれました。お待ち受け、よろしくお願いします」などと、思ったりするようになりました。

そう思える根拠は、まさに「倶会一処」の教えです。確かに、今生ではもう父と会うことはできませんが、また必ず会う世界があるのです。いつか再会するときまでは、自分にできることを精一杯勤めたいと考えています。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。