縄文時代の遺跡から火葬の形跡のある遺骨が発見されていることから、かなり昔から日本でも火葬は行われていたものと思われます。ただし、火葬の記録が残っているのは飛鳥時代からで、西暦700年に僧の道昭が、703年に持統天皇がそれぞれ火葬され、その後、皇族・貴族・僧侶などが少しずつ行われるようになりました。
その背景には仏教信仰の広まりが影響を与えているものと考えられます。お釈迦さまも荼毘に付されたことから知られるように、仏教では火葬が一般的でした。そのため、仏教を信仰する人々の中から、火葬を希望する人が現れ始めたようです。けれども、当時の技術では遺体を骨にするまで焼くためには大量の薪と時間を要したことから、庶民は経済的な面から容易に行うことはできず、大半の人々は土葬を行っていました。
鎌倉時代以降は、仏教の広まりに伴い、庶民の間でも少しずつ火葬が普及し、江戸時代に入ると、人口増加による墓地不足という問題もあり、江戸や大坂といった都市部では火葬の割合が増えていきました。
さらに、明治期になると人口の増え続ける都市部においては、土葬用の広い土地を確保するのは簡単ではなく、レンガでできた火葬炉が登場したり、感染症で亡くなった人の遺体を火葬することが義務付けられたりするなど、火葬の普及に向けた環境が整えられていきました。
こうして、明治から昭和初期にかけて火葬はだんだんと普及していきましたが、太平洋戦争が終わると人口の増加や公衆衛生の問題により、火葬がより強く推奨されるようになりました。やがて、火葬の件数は土葬を上回り、現在では完全に火葬が主流となっています。
土葬から火葬になった理由は、結論としては、当初は仏教の影響を受けて始まったものの、最終的には土地の狭い日本では墓地の場所を節約できる上に衛生的であるという合理的な事柄によると言えるようです。