我や先、人や先

先日、新型コロナウイルス感染症で亡くなられた方のご法事をお勤めするご縁がありました。

コロナという事が騒がれ始めて2年経ち、感染者も色々なところで出ていましたが、まさか自分がそのようなご縁に会うとは正直思っておりませんでした。

 

亡くなられた方は代務住職をさせて頂いている寺院のご門徒さんの息子さんで40代の方でした。

ご両親の話を聞きますと、その方は鹿児島で生まれ育ち、大学卒業と同時に関東の企業に就職し、そこでご結婚もされ、生活を営んでおられたそうです。

 

日本がコロナ禍に襲われ、感染者が爆発的に増えていた今年の8月に感染したと言います。

本来であれば、すぐ病院に入院するところですが、その時は医療機関も逼迫しており、受け入れ可能な病院がなかったそうです。

そのため、そのまま自宅での療養生活を余儀なくされることになり、連日高熱が続き、まことに残念なことですがお亡くなりなってしまったとの事でした。

 

死因が新型コロナウイルス感染症という事もあり、お葬儀を営むことは難しかったそうです。

お葬儀はなさらずに、奥様の方で荼毘にふされ、お骨はしばらく奥様と一緒に過ごされたとのことでした。

鹿児島におられるご両親も、あまりに突然のことで、悲しみが大きかったのですが中陰法要をお勤めされました。

最後の四十九日の日に、奥様がお骨を持って鹿児島に帰られ、そこでご両親と一緒に法要をお勤めされました。

中陰、四十九日とご縁に合わせて頂く中に、コロナという事がどこか他人事になってしまっていたと思わされました。

 

白骨の御文章の中に「我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。」という言葉があります。

「人間、頭では分かっていてもそれが自分の事だと誰も思わない」という事を表している言葉ではないかと思います。

私自身、コロナに感染する人も、それによって亡くなられる人もテレビや新聞、インターネット上の出来事で、自分や自分の身近な人はそうならないと無意識下に決めつけていたのではないかと思います。

コロナやそれにまつわる出来事は、決して他人事ではなく、常に私に関わっている事柄だと思わされました。

 

これからお骨はご実家のお仏壇の前に安置され、しばらくはご両親と一緒に生活をされるとのことでした。

またご両親からは、「落ち着いたら納骨堂に納め、1周忌、3回忌とお勤めしていきます」とのお言葉を頂きました。

ご両親やご家族に置かれましては、とても辛い出来事だったと思います。

私に出来ることはないかもしれませんが、法事のご縁を結ばせて頂ければと思うことでした。

合掌。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。