「還骨法要」とはどのような法要なのですか?

還骨法要とは、葬儀の後、亡き方が荼毘(火葬)にふされ、遺骨がご自宅または葬儀会館に還ってこられた際につとめる法要になります。

以前(2018年4月16日)の仏事FAQでは、「還骨法要とは、亡き方を偲びつつ、私のいのちに向き合う法要といえます。」とお伝えしておりました。法要のかたちとしては、一般に、お通夜、葬儀は生前ご縁のあられた方々も参列される「対外的」な法要になりますが、還骨法要はごく身近な家族・親族において勤まる法要といえます。

私のお寺では、おつとめの後、当懇談会作成の「香華抄」(中陰カレンダー)の一節を拝読して、還骨法要での法話といたしております。

顧みれば、生前はたとえ家族であっても、言葉を尽くさなければ、お互いの思いは通じ合わないものでした。ところが、今こうして仏前に座って掌を合わせていると、言葉を交わさなくてもこころが通いあう感じがします。

日頃私たちは、生きている人を拝むことなどあまりしないものです。けれども不思議なことに、その方が亡くなってしまわれると何の抵抗もなく自然に掌が合わさるのは、亡くなられた方が今は仏さまとなられて、私を導いてくださるからではないでしょうか。 (「香華抄」第5集、鹿児島教区懇談会)

私たちは、お互いに、お浄土に生(・)まれる前(・)すなわち「生前」のご縁を縁として、自然に掌が合わさる仏縁を頂いているのではないでしょうか。であるからこそ、私の意志や努力で掌を合わすというよりも、自然に掌が「合わさっている」私に気づかされるのです。

できれば避けたい別離の悲しみや痛みのど真ん中に届けられる、いのちの尊さや有り難さ、あるいはおかげさまの心、そして何より凡夫の私にこそ必要な「如来大悲の恩徳」「師主知識の恩徳」に気づかされ、導かれていく。

還骨法要とは、亡き方を偲びつつ、仏縁を頂く中で、私たちのいのちに向き合い見つめていく法要といえます。