一般に「知識」という言葉は、知っている内容や事柄を指して用いられます。
ところが、仏教では数量で得られる知識ではなく、師匠や友人を意味する大切な言葉です。
仏道を学ぶ上での善き師・善き友を「善知識」といいます。
それとは逆に、悪い師や友を「悪知識」といいます。
習い事やスポーツ、勉学においても先生や友達は大切な存在です。
また、知らない土地で道に迷った時など、私たちは正しい道を教えてくれる人を求めたりします。
まして、仏道修行の場合はなおさらのことです。
善知識がいなければ、悟りや救いを得ることは出来ません。
自分がこの世に生まれた意義を尋ね、それを明らかにしようと志す求道者にとって、善知識との出遇いは、必須条件ともいえます。