3度目の…

3度目の…

そろそろ

「おなじみ」

となっていただけているでしょうか。

東北ボランティア3度目のご報告です。

私事ですが、2月半ば最愛の祖母が往生しました。

あまりにも突然のことで、一度は2月下旬からのボランティア活動を、中止しようかと思いました。

しかし生前、祖母に東北でのボランティア活動の話をすると、

「よかったね、よかったね。」

と喜んでくれていたこと。

そして何よりも私自身の

「今まで東北で出会った多くの方々と、できるだけ近くで3月11日という日を過ごしたかった」

という思いが強く、2月下旬の出発を延期し3月初旬から東北へ赴きました。

今回は、主にコミュニティ支援ということで、仮設住宅でのお茶会の活動をさせていただきました。

3月10日は気仙沼・南三陸へ。

在宅で被災されている方々のところに物資を届けに伺いました。

被災者=仮設住宅居住者と思いがちですが、在宅で被災された方々もいらっしゃいます。

震災から1年ということもあったのでしょう。

気仙沼も、南三陸も県外ナンバー、レンタカーを多く見かけました。

 

沿岸部は未だに線路が無くなっていたり、流された船がそのままの状態で置かれていたり…。

そのような状況ではありましたが、各地でプレハブの仮設商店街ができており、宮城県においては少しずつではありますが、前へ進んでいるように感じました。

そして

「3月11日」。

1年前に東日本大震災が起きた日です。

この日、私は石巻市湊地区の分館で行われる追悼式の炊き出しのお手伝いをさせていただきました。

湊地区は在宅被災者が多く、また分館も2月半ばに再開した地域です。

熊本から来られた

「九州ラーメン党」

の方々との炊き出し。

そして、篠笛にアイリッシュハープの演奏、朗読会。

追悼式ですが、

「前を向いて歩いていこう」

と思わせられるような式でした。

久々の再開を喜ぶ方々、温かいラーメンをほおばり

「おいしかった^^」

と笑顔で言ってくださる方々。

しかし、あの2時46分。

サイレンの鳴り響くなか、黙とうをしていると周りからすすり泣く声が。

やはり、いくら笑顔は見られても

「この辛い思いが消え去ることはないんだろうな」

と、思いました。

私自身、あの震災を体験していないのに、涙が止まりませんでした。

でも、笑顔あり涙あり…。

住民が一体となって作り上げた、あたたかい追悼式でした。

宮城での最後の3日間は、仙台市の南に位置する名取市での活動へ向かいました。

その初日、ボランティアセンターを出発する直前に、ボランティア仲間から

「名取のさいかい市(仮設商店街)で、お寿司屋さんがオープンしたんだって!」

という情報を聞きました。

どうしても行きたくなり、同乗者に同意を求めると全員

「OK!」

一路さいかい市へと向かいました。

ところが…、

「お昼用のシャリが無くなって。すみません!」

と店主の声。

翌日、リベンジと思い再びさいかい市へ。

すると

「お昼、終了しました!」

と店主の声。

翌々日

「今日こそは!」

と思い、三たびさいかい市へ。

店に着くと【店休日】

さすがに、3日連続のフラれっぷりには、泣けてきました(T_T)

次こそは、

「さいかい市での寿司リベンジ!」

の思いも込めて、5月末から行ってきている…はずです! 

4度目の報告も、お待ちください♪

ちなみに 何故ひらがなで

「さいかい市」

と表記しているのかというと、

「再開」と

「再会」

をかけているんだそうです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。