『あたり前の中に 大切なことがある』

  小さい頃、朝晩必ず仏さまの前に座らされました。

「仏さまに手を合わせてお礼をしようね」

「ナモアミダブツととなえるんだよ」

ナモアミダブツってなに?と聞くと、

「仏さまありがとう、という意味だよ」

と教えてもらいました。

 先日、ある本を読んでいると、

「ありがとう」

の反対語は

「あたりまえ」

だと書いてありました。

言われてみれば、なるほど納得です。

普段「あたりまえ」に元気に過ごしていて、いざ病気になって初めてその「ありがたさ」に気づく。

本当はいつも「有る」ことが「難しい」毎日を過ごしているのに、「あたり前」の中からは感謝の気持ちなどとても出てきません。

逆に、

「あたり前」

と思っていたいろんなことが

「特別なこと」

に思えたら、自然に

「ありがとう」

が口から出てくるのかもしれません。

 街で見かけたある絵ハガキに、こんな事が書いてありました。

  あたり前のことなんて

  何ひとつないと気づいた時から

  歌を歌うことも

  水たまりを飛び越えることも

  朝起きて歯を磨くことさえも

  楽しいことに思えてきます。(澤田直見) 

本当にその通りですね。

あたり前なんてどこにもない。

でも、なかなかそう思えない私だからこそ、

「仏さまに手を合わそうね」

と教えてもらったのだと思います。

本当に大切なことに気づかされるように。