今も世界のいたるところで紛争が起こっています。
大切な家族や友人を失い、住むところすらままならない生活を強いられている人々がたくさんいます。
「戦争」それはいつも正義と正義のぶつかり合いで起こります。
自らを「悪」と自覚した上で戦争ができる人などいないのです。
どんな戦争も
「我が国、我が民族、我が集団の利益と平和」
という旗印を掲げ、それとは裏腹に血を流し命を失う争いが絶えないのです。
なんとも皮肉なことでしょう。
そこで叫ばれる「平和」とは一体誰にとっての「平和」なのでしょうか。
私の?私たちの?我が国の?我が社会の?
そこには争いの種となる自分中心の価値観、考え方が渦巻いているのではないでしょうか。
私たちが目指すべき平和とは「みんなの平和」ではないでしょうか。
そのみんなは国を超え、人種を越え、宗教を超えてめざされるべきものなのではないでしょうか。
唯一絶対なる正義などあり得ない、間違いを起こさない人などいない、差別や偏見を持ちがちな、「悪人」を自分の外に作りがちな「私」の姿を仏法は教えて下さいます。
私たち一人一人のいのちは、無数の縁によって支えられ育まれてきたいのちです。
そのいのちを奪い取ることを正当化するような正義とか平和などありません。
今年もまた終戦記念日がやってきます。
憲法改正も声高に叫ばれている今だからこそ、「平和」ということばの意味するところをみんなで考えてみたいものです。