4月は、新生活の始まりの時期でもあります。
新たな期待や思いを持って、むかえられている方々も多い事と思います。
私は、4月になるといつも思い出すことがあります。
それは、今から十数年前ですが、僧侶になるために勉強をする学校の入学式でのことでした。
その学校の先生が、
「この学校は、学べば学ぶほど愚かになっていく学校です」
というあいさつをされました。
私は、はじめそれを聞いた時よく意味がわかりませんでしたが、その先生のおっしゃった通り、学べば学ぶほど、聞かせていただけばいただくほど、次第にその言葉の意味をしみじみと自分の事として気づかせていただいたことでした。
仏さまの教えに出遇うという事は、おそらくわたくし自身のありのままの姿に気づかされていくということなのでしょう。
今思うと、それら一つ一つの師の言葉や、出会い、別れ、喜び、悲しみ、苦しみのすべてが今のわたくしとなっています。
もちろん、わたくしが気づいていないだけで、もっと数多くのご縁によって、ただ今のわたくしは成り立っているのです。
ただ今のわたくし、という現在に立って、言い換えると、自己の身の真実に立って過去を明らかにしていく、それが仏教の説く縁起の道理です。
「縁起」
といいますと、よく
「縁起が良い」
とか
「縁起が悪い」
などといった言い回しで使われる事がありますが、そのように自己中心的なわたくしのその時その時の都合で語られるものではありません。
ただ今のわたくしという立場に立って、自覚的にいただけるものがご縁の世界です。
また、それをご恩と言ったりもします。
本来、縁とはそれがわたくしにとって都合が良かろうが悪かろうが選ぶことはできないものです。
むしろ、自分の都合でしか見ることの出来ないわたくしにとっては、
「都合の良かった事も、悪かった事も、すべてが今のわたくしとなっているのだ」
といただけるのが、縁起という事なのでしょう。
「すべての歩みが、あなたになっていく」
過去はもう過ぎ去ったものであり、未来は不確かなものです。
慌ただしい日常の中で、普段は忘れがちなことではありますが、時には立ち止り、今、生かされて生きているいのちの不思議をおもい、共に一瞬一瞬のご縁によって成り立っているいのちと確認していきたいものです。