「親鸞聖人の仏身・仏土観」(5月前期)

謹んで化身土を顕さば、仏は無量仏観経の説のごとし。

真身観仏これなり。

土は観経の浄土これなり。

また菩薩処胎経等の説のごとし。

即ち、懈慢界これなり。

また大無量寿経の説のごとし。

即ち疑城胎宮これなり。

『教行信証』「化身土巻」冒頭の文です。

『正信偈』に親鸞聖人は源信僧都の功績を讃嘆して、源信僧都は

「報化二土正しく弁立せり」

と述べられます。

報土である阿弥陀仏の浄土に、なぜ

「化土」

が存在するのでしょうか。

その理由を源信僧都が『往生要集』で、疑心の者は

「胎宮」

に生まれ、懈慢の者は

「懈慢界」

に生まれると、明かされたといわれるのです。

このような考え方は、中国浄土教からの伝統的解釈だといえます。

そこで親鸞聖人もまたこれらの解釈を受けて、

『菩薩処胎経』

に説かれる

「懈慢界」や

『大経』の

「疑城胎宮」を

「化身土」

と捉えられることになります。

ところで、源信僧都が

「報土」

と見られた阿弥陀仏の浄土は、まさに

『観無量寿経』

に説かれている浄土にほかなりません。

けれども親鸞聖人は、この

『観経』

に説かれる阿弥陀仏の相好とその浄土の荘厳を、

「化身土巻」

でまずに、化仏であり化土だと見られます。

このような浄土のとらえ方をしているのは、純正浄土経の流れにおいては、親鸞聖人以外には誰もおられません。

中国及び日本の浄土経では、

『観経』

の教えを通して阿弥陀仏の浄土を見、その

「真身観」

に出現する阿弥陀仏を礼拝し、西方の浄土に往生することを願っているからです。

したがって、浄土経一般では、

『観経』

が方便の経典だということはありえず、この経に説かれる阿弥陀仏とその浄土こそを報仏報土だと見ていたと考えられます。

では、なぜ親鸞聖人は

『観経』

に説かれる仏身仏土を化身化土とされたのでしょうか。

その理由は

「真仏土巻」

ですでに明確に証されているところですが、要はこの巻の次の冒頭の一言に尽きるのではないかと思われます。

謹んで真仏土を案ずれば、仏は即ちこれ不可思議光如来なり、土はまたこれ無量光明土となり。

しかれば即ち、大悲の誓願に酬報するが故に、真の報仏報土といふなり。

すなわち、親鸞聖人にとっての真仏真土とは、光明無量・寿命無量の誓願に酬報して成就された、

「不可思議光」

そのものであったからにほかなりません。

そのため

「不可思議光」

の本性を『涅槃経』の、真解脱・虚無・如来・仏性・涅槃等の語によって解釈されます。

これは、親鸞聖人が真の仏身仏土を存在論的に捉えてはおられなかったことを意味しています。

『無量寿経』

によれば、阿弥陀仏は十劫の昔に成仏し、その国土はここを去ること十万億刹の西方にあり、安楽と呼ばれ、自然の七宝によって荘厳されていると説示されていますが、そのような浄土の存在論的解釈の一切を親鸞聖人は方便化土と解されていたことになります。

もちろんその主著

『教行信証』

において、真実を語る巻でも

「西方」

「十劫」

といった言葉は見られますが、浄土の本質を示される箇所では、このような考え方は見出せません。