よく「人生はひと時ひと時の積み重ね」といわれますが、慌ただしい毎日を生きる私達は

よく「人生はひと時ひと時の積み重ね」といわれますが、慌ただしい毎日を生きる私達は、様々な物事に追われるうちに、いつしか大切なことを見失い、気がつけば「今日という一日を何となく過ごしてしまっているのでは?」という気持ちになることがあります。

 日々の生活を振り返ると、予定を立てる場合、一カ月やニカ月どころか一年先のことまで計画を立てることがあります。

そのようなことが日常化していくと、いつの間にか「明日」という日が来るのは「当然のこと」という錯覚に陥ってしまうような感じがします。

 本願寺第八世門主・蓮如上人は、お手紙の中で「私たちの人生は稲妻のようにあっという間に過ぎ去り、いつどのような形で終わるかわからない」と述べられます。

それは「一度きりの尊い道を歩いていることに目覚めなさい」とのお諭しだと思われます。

 あなたは「昨日を生きた」「今日を生きた」という実感を持って生きていますか?

また「死んでも死に切れない」という言葉を耳にすることがありますが、必ず終わる命なのですから、むしろ「死に切れるような今」を生きることが大切なのではないでしょうか?

 いつ終わるかわからない人生だからこそ「明日」ではなく「今日」という一日を大切に生きることが大事なのだと思います。

そして、そのような生き方に目覚める時、それまでのありふれた一日が、かけがえのない一日として輝き始めるのではないでしょうか?

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。