先日、私の寺に二十歳で娘さんを亡くされたご夫婦がご命日のお参りに来られました。
今年で亡くなられてから丸七年を迎えていました。法要がすんだ後、私はふと時の流れの速さを感じると共に、ちょうどその時のことを思い出していました。
実は、この娘さんが亡くなられたことが、私が僧侶としての道を真剣に歩もうと決めたきっかけになった出来事だったからです。
当時私は、僧侶資格を取得してはいたものの、まだその自覚や心構えも不十分で、仏教についても深い関心を持ってはいませんでした。
ところが、この娘さんが二十歳という若さで亡くなられたということを聞いた時、私は「いのち」ということについて深く考えさせられ、蓮如上人の書かれた「御文章」の中の「白骨の章」を読み、「いのちのはかなさ」ということと真剣に向き合う機会を持ちました。
これを読んだ時に、自分もいつどうなるかわからない存在であるということと、仏さまのみ教えは今生きているこの私のためにあるのだということに気がつきました。
この「白骨の章」は、今から五百年余り前に書かれたものですが、医学や科学が発達した現在でも、ここに書かれているように私のいのちはいつ終わるかわからない不確かさの中にあります。
だからこそ、明日にはどうなるかわからない私が、今日という一日を生きて行くのは決して当たり前のことなどではなく限りなく尊いことであるということを教えて下さった蓮如上人、さかのぼって親鸞聖人、さらにはお釈迦さまの明らかになさった真実の言葉を伝えていかなければと思ったのです。
あれから、早いもので七年。私はこれからもこの「決意」を見失うことのないよう努めていきたいと思っています。