『仏さまの心とは3』

 「仏さまの心とは大慈悲心である」といわれます。

ではその大慈悲心とは、どのような心なのでしょうか。

小悲とは我が子のみですが、その愛の心が自分に縁があるものに対してだけではなく、自分にとって全く無関係な人々に対しても広く与えられる心だといえます。

 また、その人の悩みがまるで自分の悩みであるかのように寄り添われ、その人の楽しみを自らの楽しみとし、その人を守り育て、共に喜び、その人を正しい方向に導かれる。

それが仏さまの大慈悲心だといえます。

 『観無量寿経』に「仏心とは大慈悲心である。

無縁の慈悲をもって一切の衆生を摂取するからである」と述べられて、「阿弥陀仏の無限の光明は、遍く十方の世界をお照らしになり、念仏の衆生を摂め取って、決してお見捨てにならない」と説かれています。

 「無縁の慈悲」とは、どのような人であっても、その人がもし苦しみ悩み、ただひたすら仏さまに救いを求めれば、仏さまはその人を全く差別しないで、ただちにお救いになる心です。

では、阿弥陀仏が念仏の衆生を摂め取るとは、どのような意味でしょうか。

 ここで私たちは、仏の慈悲の実践とは何かをはっきりと理解しておく必要があろうかと思います。

大慈悲心とは苦悩するその人を救われるはたらきですが、その「救い」とは苦悩する人を正しく仏果(さとり)に導く働きを意味します。

(以下、続く)