「今病みゆく子どもたち… 私たちにできること、しなければならないこと」 全然待ってない(上旬)

======ご講師紹介======

元高校教師 水谷 修さん

今月のご講師は、元高校教師の水谷修さんです。

横浜市生まれの水谷さんは、幼少時代を山形で過ごされ、昭和五十年に上智大学文学部哲学科に入学、昭和五十八年からは高校教師として、横浜市内の高校を歴任されます。

昨年九月に退職、その後も夜回りという深夜の繁華街パトロールでのご経験をもとに、専門誌や新聞、雑誌への執筆、テレビ・ラジオなどへの出演、日本各地での講演を通して、薬物汚染の実態を広く社会に訴え続けておられます。

著書に「夜回り先生」「さらば、哀しみのドラッグ」等を出版されています。

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 今、ものを考えられない子どもたちが非常に増えています。

我々普通の大人というものは、何か行為をするときに、法に背くか背かないか、人に迷惑をかけるかかけないか、そして社会のためになるか誰かのためになるか、そういったことを総合的に判断して行動します。

 つまり、規範式というものを我々は持っています。

今の二十代ぐらいの若い子たちはそれを失っています。

ものを考えられないから周りを見渡し、常に周りと同じことをしようとします。

 でもこれは当たり前のような気がします。

我々はものを考えるような子育てをしていません。

子どものころは、常に「ああしなさいこうしなさい。

何をやってんのダメでしょ」と指示型でしょ。

思った通り動かして、ある年齢になったら「はい、自分で考えなさい」、それは無理だ。

 例えば、産まれた赤ちゃんを二十代までだっこして育てたらどうなりますか。

歩けない二十歳の子どもを作ってしまう。

だから、八、十カ月の立ち始めのころ、転んで頭を打って、泣いて「ママっ!」て来ても、「自分で立つのよ」と、心を鬼にしてわざと背中を向けて、一生懸命立ったら「よくやったね」と抱きしめて、これを繰り返して立って歩くことを学ぶ。

痛い思いやけがをしないで立って歩けた人間はいません。

 心だってそうなんです。

大人の目から見て、親の目、おじいちゃんおばあちゃんの目から見て、

「そんなことしたら失敗しちゃうよ。

そんなことしたら怒られる、まずいよ」

とわかっていても、自分で決めた以上やらせて、その責任をとらせ、償いをさせる。

それを繰り返していかないと、ものを考えて自ら決断し、自ら動く能力が身についていかないんです。

 それが今家庭でも学校でもできていない。

待てないですもの。

教育も子育ても全然待っていない。

時の流れが速すぎます。

 今からちょうど三年前です。

最後に僕が持った夜間高校のクラス、二年生のときでした。

イタリア製の二万六千円相当の財布が盗まれました。

中には二万円のアルバイトの給料が入ってた。

四万六千円相当です。

大変な騒ぎになった。

そのときに一人の教え子が「水谷先生、○○さんがとったの見たよ」と僕のところに言ってきました。

 とったとされた子は、実はお母さんと二人暮らし。

当時お母さんが入院していて、生活保護を受けていた。

貧しかったです。

「学校やめて働いてお母さん助ける」

と言う彼女を、

「いいから卒業しよう。

授業料とか先生が出してやるから」

と引っ張ってる子でした。

しくじったと思いました。

でもその子に

「ともかく、もしかしたらただ触ってみただけかもしれないから、お前誰にも言わないでくれ。

先生、解決するから」

と、教室にクラス全員を集めました。