prideという英単語があります。
日本語では「誇り」とか「自尊心」と訳される言葉です。
辞書を引くと「誇り」を「自尊心」と区別するためにtrue(真の)prideとかproper(正しい)prideなどと表現するそうです。
日本中が騒然としたマンション等の耐震強度偽装問題を代表とする欠陥建築や手抜き工事、最近になっては産地偽装や材料を偽っての食料品などエスカレートするばかり。
たとえどんなものでも、安くつくって高く売れればいいとでも言ってはばからない姿勢に、ものを作るつくり手の誇りはどこに行ってしまったのかと嘆かわしい限りです。
数年前私のお寺の本堂が台風で被害を受けました。
雨戸を納める戸袋が壊れてしまいました。
そのまま放っておく訳にはいきませんので、大工さんにお願いして新しく作り直してもらうことになりました。
その大工さんは一目見て
「これは結構大変な仕事ですね」
と思わずこぼしました。
その理由に、一般の家庭とは違うサイズと手の込んだ細工を挙げて説明してくれました。
私はちょっと気をつかって
「元通りのものでなくてもいいですから、よろしくお願いします。」
と言うと、キッパリと
「そんな訳にはいきませんよ。この先何十年も門徒の皆さんの目につくわけですから、大工として半端なものは作れません。
」
と言って一歩も譲りません。
それからの数日間は朝から夕方暗くなるまで、汗をいっぱいかきながらの作業。
そして、当初の見積もりよりかなり工期もかかって悪戦苦闘の果てに、元通りの立派な戸袋ができあがりました。
「これなら自分の仕事と胸を張って言える」
とでも言いたいような誇らしげな顔をしながら、嬉しそうに眺めている姿が印象的でした。
日本語に
「矜持(きょうじ)」
という言葉があります。
広辞苑には
「自分の能力を信じていだく誇り。自負。プライド。」
とあります。
まさにtrueprideと英語で表現されるべき言葉ではないだろうかと思います。
今世の中では
「経済性」
ばかりが優先され、物作りの職人として、あるいは仕事人として、果ては人としてという
「矜持(truepride)」
が失われているのではないかと思えてなりません。
自尊心ではなく矜持。
外向きの視線ではなく、自分自身に向いた視線。
自己を見つめ自分を問うていく視線。
それこそが仏教的な視線ではないかと思うのです。
今こそ「矜持」をもって今を歩んでいきたいものです。