研修会の際、話し合いの時間にある女性が、
「遠い親戚で直接お会いしたこともない人のお骨をだれも見る人がいなくなったので自分の両親のお墓に一緒に納めようかどうか迷っている。
姓の違う人のお骨を一緒に納めるとケンカをするということを聞くがどうすればよいのでしょうか?」
と話された女性がおられました。
結論からいいますと
「姓の違う人のお骨であっても一緒に納骨して何の問題もありません。」
ケンカをするのではないかと心配してしまうのは、お骨そのものを故人そのものとしてしか見ていくことのできない我執にとらわれた我々人間のものの見方から生じているといえます。
阿弥陀経には「倶会一処」?また一つの処(浄土)でお会いしましょう?とあります。
たとえ生前、仲の悪かった人同士であっても浄土では世俗での様々なしがらみから解放されて互いが手を取り合い、我々が真実の世界に目覚めるようにはたらいてくださるのです。
ですから、姓の違う人であっても一緒に納骨してなんの問題もないのです。
ケンカをするのではないかと心配している我々のものの見方・考え方そのものが迷いの根源であったと気付かせて頂くことが大切です。
<参考文献>
◎『仏事のイロハ』末本弘然著(本願寺出版社)
◎『門徒もの知り帳』(上・下)野々村智剣著(法蔵館)