日本のマンガの質の高さは、世界中でも認められているところですが、それは画力の素晴

日本のマンガの質の高さは、世界中でも認められているところですが、それは画力の素晴らしさだけではなく、その内容の深さにも及んでいます。

おそらく、マンガ家の方達の日頃の研鑽の成果が、正しく評価されたものであるといえます。

 私は、その数あるマンガの中でも、特に歴史物が好きです。

もともとも日本史や世界史に興味があったこともその理由の一つですが、殊に「三国志」の世界にはまっています。

 現在、三国志を扱ったマンガは多数ありますが、故・横山光輝氏の

『三国志(全60巻)』

は、日本における

「三国志マンガの先駆け」

とでも称すべきもので、その面白さに学生時代から魅了されました。

ただし、横山三国志は、正史の「三国史」ではなく、中国の元末・明初時代の作家・羅貫中による『三国志演義』(以降「演義」)が基になっているためフィクションの部分が多く、全てが史実通りという訳ではありません。

けれども、その反面物語として楽しめる要素に満ちています。

一方、史実に基づいた作品としては『蒼天航路』というマンガがあります。

こちらは原作を故・李学仁(イ・ハギン)氏、作画を王欣太(KING☆GONTA)氏によって書かれています。

一般に、いわゆる「三国志もの」は、「演義」の影響を受けて比較的「蜀(漢)」の劉備(玄徳)寄りの内容が多いのですが、こちらは正史とされる、三国を統一した西晋の官僚・陳寿の著した魏を正統とする「三国志」

(陳寿の『三国志』は当初私家版でしたが、陳寿の死後、西晋の恵帝の時代に范頵らの上表により正史と認定されました)

を基に脚色をしたものなので、魏の曹操(孟徳)が中心に描かれ、他とは一線を画した展開が見られます。

さて、その「蒼天航路」の中で、とても心に残る寓話がありました。

それは、獣偏に貪(むさぼ)ると書いて「トン」と読む、孔子が中国の争乱の行く末を譬えた教えの中に出てくる怪物の話です。

それによれば、

 『トンはいつも腹を空かせていて、目の前にあるものすべてを貪っていた。

それが、水であろうが、食物であろうが関係なく、しかも人間も建物も飲み込むのである。

味も形もおかまいなしで、とにかく腹に入り、食いつなげればよいのだ。

しかし、いくら飲み込んでもトンの食欲は止まることをしらない。

やがて、地球上のすべてのものが飲み込まれてしまった。

すると、トンは地球そのものを貪りだし、地球を飲み込むと今度は太陽をも飲み込んでしまった。

太陽がなくなると、そこに待っていたのは暗闇である。

ところが、その暗闇の中でも、依然としてトンは貪ることをやめない。

そうこうしているうちに、トンが手探りで見つけたのは自分の尻尾であった。

ついにトンは、自分の尻尾を飲み込み始め、とうとう自分自身をも飲み込んでしまった。

そして、無が残った。

何も無い世界が…。』

と、伝えられています。

このトンとはまさに、孔子による想像上の怪物ですが、孔子がこのトンのありようを通して物語ろうとしているのは他でもない、私たち人間の欲望の深さと、その結末です。

限りない欲望のなれの果ては「無」だと教えられる時に、それが単に一人の人間のことだけではなく、実はその人間が支配している、この地球の行く末をも見たような気がしたことでした。

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