さて、外国に生活する際、必要なものは言葉です。
私は鹿児島弁なら十分できるのですが、横文字はアレルギーが出るほど苦手でしたので、留学生活の第一歩は、まずドイツ語の勉強から始まりました。
当時、旧西ドイツのバッサウの劇場で歌っておられました片野坂栄子さんを訪ねたところ、片野坂さんのご主人がとてもドイツ語に堪能な方で、教えていただくことになりました。
153もの文章を意味も分からぬまま、ただひたすら暗記。
そういう訓練を毎日、声に出して読み、書いて聞いてと繰り返し続けておりましたら、次第に話すことには抵抗がなくなってきました。
習いたて文章を街に出て繰り返し使っておりますと、親切な街の人たちは気持ちよく応じてくれました。
ウィーン大学やドイツ語学校にも通いましたが、やはりこの153の文章が、私の留学の基礎になっていると思います。
その文章は、忘れることなく今でもしっかり染みついていますから。
元気な毎日を送っておりましたら、そのうちに故郷から航空書簡が届き始めます。
両親からの文面もある訳ですが、その下の方に、母が毎回四季折々の草花を描き送ってくれました。
いわゆる絵手紙ですね。
すみれですとか、露草ですとか、今ごろだと萩とか彼岸花ですね。
蓼とか車輪梅とか、どこを歩いたんだろうかと思うくらい、画材を探して、一生懸命野山を歩いてスケッチしてくれたのでしょう。
その数500通以上。
今でも私の宝物です。
さて、ピアノの伴奏と言いますと、決まってソリストが上で
「ああ、伴奏ねえ」
と言われるのが普通でした。
しかし最近は、随分ピアノの伴奏者を大事にしようという気風があって、嬉しく思います。
大体五分五分の力を持っていないとうまくいかない、ピッチャーとキャッチャーのような関係だと思っています。
伴奏といいましても、みなさんとご一緒しましたハートフル大学の
「今月の歌」
の伴奏や、楽器の伴奏、合唱の伴奏といろいろな幅があります。
伴奏をするためには、いろいろな時代の作曲家の作品を知る必要があります。
それで、その歴史や作品の由来、背景を勉強します。
また、楽器の特性を少しでも理解するために、楽器学についても勉強します。
歌曲やオペラなどの場合は、その言葉が作り出す情景や心の動きなどをピアノで表現するために、必然的に語学も必要になります。
したがって、私の学んだウィーンの伴奏科では、
ピアノの伴奏はもちろんのことですが、通奏低音のためのチェンバロ、
初めて楽譜を見て演奏する初見、
曲を変えずに音の高さを上げたり下げたりする移調、
伴奏の練習、
伴奏学、
楽器学、
詩の解釈、
ドイツ語、
イタリア語、
フランス語と、語学の授業も必修です。
私の師であるショルム先生は、1000種類の音で演奏するようにと、常に説いておられました。
ピアノには88鍵しかないのですよ。
1000種類も弾ける訳はないですよね。
でも、どういう音で演奏したらいいかという工夫を、今でも続けております。