「音楽あれこれ」(下旬)すばらしい出会いがあるから伴奏はやめられない

伴奏の依頼を受けますと、演奏会に向けて共演者、ソリストと共に練習に励んで行きます。

ときには、演奏会の前日にお会するだけでしたり、当日のリハーサルだけで本番ということも多いです。

私の場合は、できる限り共演者の方とお話をして、相手の人柄を知るように心がけています。

お話を通して、息づかいや音楽の際の間の取り方を、少しでも分かるようにするためです。

ソリストが気持ちよく演奏できるように、常に元気でいようとも思っています。

ソリストには

「いつでも歌っていいよ」

と合図しますが、本当はこちらがドキドキしているんですよ。

演奏の前には、

「こうして弾こうね。」

「ああして歌おうね」

と約束しても、舞台に上がれば約束はどこへやら、

「あら、さっき言ったのと違うよ」

と心では思っても、そうはいきません。

歌い手によっては

「きょうは調子が悪いから音を下げて」

とか言うのはたびたびです。

今回は25曲歌いますとおっしゃった時は、急に曲が変わってもいいように50曲持って行きます。

そんなこんなでも、上手くいけば

「歌い手がよかったね」

と言われ、上手くいかないと

「伴奏が悪かった」

となるんですね。

でも、たくさんの素晴らしい方々に出会い、楽しい音楽の数々に触れられることを思うと、やはり伴奏はやめられない、続けていこうと思います。

けれども、音は正直で、好きじゃない人とやるときと、好きな人とやるときとで、ピアノの音に現れてしまうようです。

ですから、やはり人間修養が大事だなと常々思っております。

さて、私の一番好きな音楽は

「……………」

音が流れず時間だけがたつ、これです。

アメリカの作曲家にジョン・ケージという人がおられ

「4分33秒」

という曲を作曲しておられます。

演奏者が聴衆に向かっておじぎをして、ピアノに座ってふたを閉めて、じっと4分33秒。

お脚さまも4分33秒。

この中で

「コンコン」

という咳の音や、クーラーの音、カサカサという音など、自然の音を聴くのです。

つまり、静寂の中に音楽は生まれるということです。

今年は篤姫ブーム。

私も鹿児島検定を頑張ろうと思っておりますが、サービス過剰な観光地の音楽よりも、自然の音に耳を傾けられ、耳を澄ますことができるような手だてやサービスが必要なんだろうなと思います。