『足るを知らざれば 富めども貧し』

社会的に高い地位にあり、名誉もあり、財産をたくさんもっている人が幸せかというと、必ずしもそうだと言い切ることはできません。

一見幸せそうに見える家庭にも、外からは見えない問題を抱えていることが少なからずあるからです。

幸せ・不幸せは、地位・名誉・財産によって決まるのではなく、その人が今ある現実をどのように感じ、受け止めていくかによって決まるのだと思います。

 私達の心には、

「今よりもっといい生活をしたい」

というような、たくさんの欲があります。

それを実現するために、一生懸命に働いているのだといっても過言ではないようです。

そして、その努力の結果として、社会全体の進歩や発展もあるように思われます。

このような意味で、私たちが欲望をかなえるために行った努力が、生きていくことの原動力になったり、人類の発展に寄与して来たという事実は一概に否定出来るものではありません。

しかしながら、それらの欲もすべてを自分に都合のよいように理解していく、自己中心的な欲にすりかえられていくと、自分のみの欲望・幸せを追求するあまり、いつのまにか他者との間に軋轢を生じさせていく場合もでてきます。

「少欲知足」

(少しの欲でもって足ることを知る)という言葉があります。

この言葉は、禁欲しなさいということではありません。

だからといって、貪欲になりなさいということでもありません。

少しの欲で充分に足ることを知ることが大切だと教えているのです。

人間は様々な関係の中で生活しています。

自らの自己中心的な欲望が大きくなっていくことによって、苦しんだり悲しんだりする人はいないでしょうか。

自分の欲望によって他者が苦しみ悩むことにはならないだろうかと、時々一歩立ち止まって自分を振り返ってみることが大切です。

自分自身を見失わないようにブレーキをかけ、尚且つその自分の姿を映し出してくれる鏡こそが、仏さま

の教えであることを見失うことのないように心掛けたいものです。