======ご講師紹介======
宮下純一さん(北京オリンピックメダリスト)
☆ 演題「出会いに感謝〜思い続けたオリンピック〜」
ご講師は、北京オリンピックメダリストの宮下純一さんです。
昭和58年、鹿児島市生まれ。
5歳から水泳を始め、9歳の時背泳ぎの選手に。
平成20年、筑波大学を卒業後、ホリプロに入社。
8月北京オリンピックの準決勝でアジア・日本新記録を樹立、決勝8位入賞。
背泳ぎ400mメドレーリレーでは、日本チームの第一泳者として銅メダルを獲得。
平成20年10月、競技者として有終の美と感じられる結果に、現役を引退。
その後はスポーツの美と感動を伝えられるスポーツコメンテーターを目指す。
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水泳ばかりで自由に遊ぶ暇もなかった中学時代、僕は本当に水泳が嫌になっていました。
「水泳をやめたい」
と真剣に思っていたとき、恩師と出会います。
その人は中学の保健体育の先生で、昼休みにはよく体育教官室にいって、その先生とお茶を飲んで話したりしていました。
その頃の僕は、いろんな人に
「水泳をやめたい」
と言っていましたが、親にも相手にされませんでした。
その先生にも軽い気持ちで
「先生、ちょっと水泳をやめようかなと思うんだけど」
と相談してみたんです。
どうせ先生も
「やれ」
と言うんだろうなと思っていたんですが、この先生は意外な言葉を口にするんですね。
先生は
「壁は越えられる人に訪れる。
おまえが壁を越えるところを見てみたい」
と言いました。
そのときの僕は鹿児島では1番でしたし、将来も有望視されていましたから、他の先生からは
「もったいないから、やれ」
と言われていたんです。
でも、僕はそういう風に言われるのが嫌でしたし、そうやって真剣に相談に乗ってくれなかったのも嫌でした。
ところが、この先生だけは
「嫌なんだったら、やめんか」
と言ってくれたんです。
そういう言葉を聞いたのは初めてでした。
そのときは何も言うことができませんでした。
それまで僕は、自分の力をそんなにすごいとは思ったことはありませんでしたが、次に
「その力を欲しいと思っている人が何人いると思う」
と先生に言われて、確かにそうだなと思ったんです。
それで
「宮下、今お前は壁に当たっているんだよ。
壁は、越えられない人には絶対に来ない。
この後、先に進めるかどうかを判断するために、壁は現れるんだ、だから、お前のその水泳をやめたい、やめたくないという壁は、お前が本当に自分のために水泳をやっているのかどうかなんだ。
お前は今、人のためにやっているんじゃないのか。
お前は本当に水泳が好きなのか」
と言われました。
よく考えてみたら、確かにずっと自分のためにはやってなかったなと思ったんです。
あと、そのとき先生は
「壁を越えろ」
とは言いませんでした。
「越えるところを見てみたい」
と言ったんです。
言い方が違いますよね。
「やれッ」
と言うんじゃなくて、
「見守るから、そこをもう一度見せてみろと。」
僕の水泳に対する意識は、この言葉で変わりました。
先生のお蔭で心の霧が晴れて、何のために水泳をやっているのかを思い返すことができたんです。
本当にこの先生との出会いは大きかったですね。
この言葉をもらってから、やらされる練習ではなく、自分が速くなるための練習をするようになり、それは自信につながりました。
もしこの心の変化がなかったら、今の僕はいなかったんじゃないかと思います。
このとき、いつか先生のような体育教師になりたいという夢が生まれました。
この後僕は、甲南高校に進学しました。