「師 柳家小さんと信心」(下旬) 防空壕に避難した人はみんな蒸し焼き

 ところが、防空壕へ入ろうとしたら、もう人がいっぱいいて入れませんでした。

いかも自分たちがいつも使う防空壕は、もう火が入っていました。

仕方がないので、町内の防空壕をあちこち回りましたが、どこも満員で他へ行ってくれと言われました。

最後に行った所は、川の鉄橋でした。

鉄橋の下へ行けば大丈夫だろうということですね。

どうにか空襲警報が解除されて自分の家へ戻ってみたら、全部焼けちゃってもう何もありませんでした。

みんながボーッとして立ち尽くしている側で、曲がった水道管から水がジャージャー出ていました。

後で聞いてみたら、防空壕に避難していた人達は、みんな残らず蒸し焼きになって亡くなってしまったらしいんです。

先に防空壕に逃げ込めた人達が亡くなって、私たちみたいに逃げ遅れて入れなかった者が助かった。

それで、家のお袋と親父は

「これは、ばあちゃんのお蔭だ」

と言ったんですって。

もしおばあちゃんが押し入れの中で、お経だかお念仏だかをとなえていなければ、防空壕に入れていたんですね。

でも、防空壕に入れていたら、蒸し焼きになって死んでいたんですよ。

ということは、ある意味これはおばあちゃんの信仰のお蔭じゃないかということなんですね。

師匠の小さんのことや、私が空襲のときに死ななかったのも含めて、人間の生死というのは紙一重なんでしょうね。

やっぱり日頃のお勤め、信仰心というんですか、こういうのは必要だな、大事にしなきゃいけないなと思います。

私のお袋は今89歳ですが、どうもあまりそういう信仰心が篤くないようでして、お袋に

「家は真言宗だし、母ちゃんもご本尊に手を合わせて、南無大師遍照金剛って三度となえるぐらいはやんなきゃだめだよ」

と言っても、やっぱり若い時にやってなかったから恥ずかしいみたいですね。

私は子どもの頃、おばあちゃんと同じ布団で寝てました。

そのおばあちゃんが亡くなった時、私はすぐ隣にいたのに気がつきませんでした。

寝てる顔と同じで、いつ死んだのか分からなかったんです。

ものすごく優しいというか、信仰のある人はこんなにも穏やかで、死ぬということが怖くないんだな。

よく

「ちゃんと信心しなよ」

と言われたけれど、こういう風になるんだったら嘘じゃないんだなと、子ども心に思いましたね。

(編集部付記)

一般的な信心の捉え方は、まさにこの講話録にあるようなものだと思われます。

しかしながら、もし防空壕に入った人達が助かり、その一方押し入れにこもっていたため防空壕に入れず焼け死んでいたとしたら…。

判断の分かれるところです。

また

「防空壕に入っていた人達の中には、誰も信仰心のある人がいなかった」

とは、言い切れないと思います。

お釈迦さまは、29歳の時に王子の身分を捨てて修行の道に入られたと伝えられています。

それは、今自分が謳歌している若さも、健康もやがて失われ、最悪の場である死の前には地位や財産も何ら役にはたたないことを見抜かれたからで、しかも自分はその死に向かって一直線に突き進んでいるのであり、遮るものは一つもないということを問題視されたからです。

したがって、お釈迦さまが求められた救いとは、人生における最悪の場である

「死」

が半年、あるいは一年先のばしになることではなく、

「死」

が私を襲った時、私は既に死によっても砕かれることのない確かさを見出しているということだったと言えます。

浄土真宗の信心を親鸞聖人が

「金剛心」

と表される背景には、死によっても砕かれない確かさの一面を伝えようとする意図があられと推察することが出来ます。

さて、私たちの信心の在り方はどうでしょうか。

今一度、見つめ直して頂ければ…と思います。