ひとしく真実の教法に結ばれて生きる友を、同朋といいます。
釈尊と仏弟子たちが、教法に統理されたサンガと呼ばれる和合衆を形成されたように、真実の教えは、人間の最も本来的ないのちの共同性に目覚めさせ、共同体を生むものです。
本願念仏の教えに開かれる目覚めを信心と言いますが、信心は個人の内的な自覚体験にとどまるものではなく、念仏の教えに帰依して生きる人々を新しく連帯せしめ、
「ともの同朋」
といわれる和合体の世界を開いていきます。
この
「同朋」
という言葉を仏教の歴史の中で最も根本的に実践されたのは親鸞聖人です。
上下関係の厳しいあの鎌倉封建期に、親鸞聖人を囲んで自由で平等な交わりの場が常陸(茨城県)を中心とする東国に生まれました。
その教化の態度は、内には
「名利に人師をこのむ」
ことへの厳しい懺悔と、外には
「弟子一人ももたず」
という徹底した姿勢を貫かれ、また門侶に対しては
「御同朋・御同行」
とかしずき、深い敬愛の念をもって交わられたといわれます。
それらの人々の多くは
「下類」
とさげすまれ、
「いし・かわら・つぶて」
のように生きる群萌の生活者でした。
親鸞聖人は、仏の本願によび覚まされて念仏に生きる人々を、つねに同朋として、ねんごろに交わっていかれたのでした。