1月16日に父の3回忌を迎えます。
この日は、ちょうど宗祖親鸞聖人の祥月命日にあたります。
そのため、私にとって毎年この日は、親鸞聖人の御遺徳を偲び、父の在りし日の姿を偲ぶ尊い日となっています。
また不思議なご縁で、父が浄土へと往生してから、ちょうど2週間後(二七日)に娘が誕生しました。
次女の出産に際して、妻は父の看護のこと、それに伴う母の負担も考え、実家に帰ることもなく
「残ってこちらでお産をする」
と言ってくれました。
しかしながら私は、それでは精神的にも肉体的にも負担が大きいと考え、予定日の数か月前から妻には第2子のお産のために実家に帰ってもらっていました。
その妻から、二七日の法要をお勤めする直前に
「無事女の子が誕生しました。お父さんにも見てもらいたかったね…」
とすすり泣く声で連絡がありました。
お産のため
「葬式にも帰ることができなくて申し訳なかった」
という気持と、数年ではありますが一緒に過ごした父に
「二人目の子どもを是非とも見てもらいたかった」
という想いが重なっての涙だったのでしょう。
4歳になる第1子の男の子は、父の記憶がはっきりとあり、おじいちゃんの乗っていた車が通ると、
「おじいちゃんの車だ!」
と今でも言います。
そして、お仏壇にお参りしたあと、仏壇の横上にある父の遺影に向かって
「おじいちゃん、おはよう」
といつも言っています。
折にふれ、父との思い出を話してくれたりします。
父はもうこの娑婆世界にはいないけれども、確かに私の子どもの中で生き続けているんだなぁと嬉しく思うことです。
娑婆での縁が尽きて、ちからなくして終わっていくいのちもあります。
また、この娑婆世界に新たにいのちを恵まれて誕生してくるいのちもあります。
身内との別れ。そして出会いを通して、改めて今ここにあるいのちの不思議さを思わずにはおれません。