ご本尊について、中興の祖・蓮如上人のお言葉に、
「木像より絵像、絵像より名号(南無阿弥陀仏)」
とあります。
しかしながら、
「ほとんどのお寺さんが木像のご本尊で、名号・絵像のご本尊は見たことがない。
私たちがおむかえするとき、お寺では絵像または名号のご本尊をすすめるのはなぜ?」
というような疑問をもっておられる方も多いのではないのでしょうか。
まず、先の蓮如上人のお言葉ですが、その文だけを捉えてしまえば
木像≪絵像≪名号
というように、ただ単にその優劣をつけているように受け取ってしまいがちです。
しかしそうではなく、物やその価値に縛られ、ややもすれば
「偶像崇拝」
に陥りがちな私たちを戒める言葉ではないかと思われます。
もちろんだからと言って、木像・絵像・名号のご本尊が単なる
「偶像」
ということではありません。
阿弥陀如来さまの真実の智慧と慈悲が、私のために形となって現れてくださったのであり、お掛け軸の裏に
「方便法身の尊形」
という言葉が書かれているのはそのような意味からであります。
木像・絵像のお姿はその右手に召喚のお心、
「真実の世界にかえってこいよ」
という願いを表わし、その左手は摂取のお心、
「どんなことがあっても必ず救いとるぞ」
との願いが込められています。
ですから単なるお姿ではなく、阿弥陀如来さまの願いとはたらきを表わしています。
また名号(南無阿弥陀仏)も、
「この私にまかせよ(南無)、必ず救う(阿弥陀仏)」
という阿弥陀如来さまの尊いお心表わしています。
形になって現れてくださったお姿を通して、その阿弥陀如来さまの信(まこと)のお心をいただき、そのお徳を讃え、感謝のお念仏(南無阿弥陀仏)を称える身とならせていただく事が肝要であると、先の蓮如上人のお言葉はお示しになられているのではないでしょうか。
さて、ご家庭においては絵像の阿弥陀如来さまが一般的ですが、いずれにせよ安易にお仏具屋さんなどでもとめるのではなく、お手次のお寺に御相談の上、必ず本山からお受けになり、入仏法要(ご本尊をおむかえする時のご法事)などをとおして、しっかりとおいわれを聞かせていただく事が大切です。