先月の寒波で、日本各地で大雪とのニュースが流れていました。

先月の寒波で、日本各地で大雪とのニュースが流れていました。

私の住む地域も4〜5cmほど積もりました。

南国鹿児島ということもあり、こんなに積もった雪を見るのは、数年ぶりのことでした。

朝起きて窓を開けると、真っ白な景色。

驚くと共に、嬉しい気持ちになりました。

早速、外を歩くと雪に足跡が残る。

だんだん興奮してきて、童心にかえり(現在、28歳です…)雪だるまを作ったりしてしまいました。

しばらく雪を楽しんで、部屋に戻ります。

時間が経つにつれて、雪を楽しんでいた自分はいなくなろうとしていました。

なぜか?

実は、外出する用事があったのです。

雪の道路の運転は慣れていないので、急に不安になります。

ついさっきまでは、雪をコロコロ転がし雪だるま作りを楽しんでいた自分が、今は雪のことを嫌に思っている。

自分の都合で雪への思いがコロコロ変わっています。

勝手だなと、自分のことながら感じてしまいます。

ある本の中に

“夏が来れば冬がよいといい

冬が来れば夏がよいという

忙しいから用事ができない

忙しいから掃除ができない

たぶん忙しいから死ねないだろう”

とありました。

物事に対して自分中心の思い、自分の都合で行動する私

人と関わる際に、その場の気分や都合で接している私

の姿に気付かされます。

自作の雪だるまを見ながら、

「さっきまでは楽しんでいたなあ」

と、少し複雑な思いで自らを振り返るのでした。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。