『自然 ありのままそのままに』

平成22年6月(前期)

大半の方は《しぜん》と読まれることと思われますが、仏教では《じねん》という読み方をします。

自然《じねん》と読む時は、私の思いとは関係なく、そうせずにはいられないという意味になります。

私たちは日常生活を送る中で、何か行動する時は、そこに自分の意志がはたらきます。

食事を頂く、お風呂に入る、就寝する。

また、人と接する時も、色々考えて接しています。

これらは自分の考えが関わる自ら《みずから》の自です。

一方、自然《じねん》の自は《おのずから》の私の思いではない自です。

また、自然《じねん》の然は

「しからしむ」

と言われます。

熊本県の人吉市近辺は、鹿児島県と同じく江戸時代は浄土真宗の教えを信じることが禁止されていた土地です。

その人吉の近くに、山田村の伝助さんと呼ばれる人がいました。

その方は、取り締まりの役人の目を逃れ、夜中にご門徒の方とお念仏を申し、金銭等の懇志を預かり、京都の本願寺にお参りするといったリーダー的な人でした。

この伝助さんが念仏者であることが知られ、役人に捕まって磔(はりつけ)にされた時、役人から

“教えをやめれば、命は助ける”

と言われると、伝助さんは

“私がやめると申しても、口からはお念仏が出てしまいます。

これは私の思いを超えた仏さまのはたらきでしょう。

ですから、お念仏を申さずにはいられないのです。

どうぞ、お役人様のお好きなように。”

と答えられたと、伝えられています。

この時の伝助さんの心を思う時、そうせずにはいられない、ありのまま、そのままの姿でおられたことが感じられます。