人間の一生は、出会いと別れの繰り返し。
言い換えれば、出会いの喜びと、別れの悲しみとの繰り返しであるとも言えましょう。
では、いつまでも消えない
「本当の喜び」
というものが、この世にあるのでしょうか。
今でも忘れることなく、私の心に深く刻まれた出来事があります。
ロサンゼルスを訪ねた時のこと。
知人がビバリーヒルズにある有名な寿司屋に誘ってくれました。
今まで見たこともない広い店内には、30人は優に座れそうなカウンター席が正面を陣取っています。
紹介されたチーフシェフはどこから見ても日本の職人さん。
同年代ということも手伝い、打ち解けるのに時間は要らず、話が尽きることもありませんでした。
帰り際、
「僕の休みに時間を取ってもらえますか?」
と、思いがけない彼の言葉。
数日後、私服の彼は、少し疲労感をにじませながら自分史を淡々と語り始めました。
生活苦の中から高校を自主退学したこと。
転々とした後、アメリカンドリームを実現させるべく乗り込んだ新天地は、偏見と差別の泥沼だったこと。
口にするのも辛いと、顔をゆがめました。
辛く・悲しく・苦しい日々は終わりもなく、体も心もズタズタになり、深夜ベッドの上で
「このまま朝が来なければ、どんなに楽だろうか」
と、真剣に願ったと言います。
そんな時、ふと口をついて出た歌が…
「のんのののさまほとけさま
わたしの好きな母さまの
おむねのようにやんわりと
だかれてみたいほとけさま
のんのののさまほとけさま
私の好きな父さまの
お手てのようにしっかりと
すがってみたいほとけさま」
貧しかった子どもの頃、母がいつも口ずさんでいたと、柔らかな微笑みにも似た表情の中で、つぶやきとも歌ともしれない声が漏れ出ました。
正直、私は驚きを隠せませんでした。
それは、まぎれもない仏教讃歌だったからです。
この歌こそ、彼の心の中にいつまでも残る宝もの。
お母さんの面影と共に、決して消えることのないぬくもりの喜びに他ありません。