私には国のためにいのちをかけなければいけないんだという自覚がありました。
生きる目的と覚悟がはっきりしていたんです。
そして、負けてたまるかという自負心、自尊心、これらがあって初めて頑張れるんだと思います。
でも、もし負傷していたり、病気になっていたなら、もう終わりにしていたかもしれません。
健康だからこそ、
「やってみなければ分からない」
という台詞が出るんです。
極限状態の30年間の生を支えたのは、しっかりした目的意識であり、その土台を作っていたのは体の健康だったという訳です。
ルバング島での戦争を終え、私は日本に帰国しましたが、世間と私では認識に大きなずれがあり、居場所がありませんでした。
それで、ほどなくしてブラジルに渡り、ルバング島での経験がいろいろと流用できることもあって、牧場開発をやったんです。
全神経を傾けて頑張りました。
おかげで、10年で約1200ヘクタール、1500頭を超える数の牛を持つ牧場まで開発できました。
ところが、そういう事業が一段落したころ、日本で神奈川金属バット両親殺害事件が起こりました。
この事件を知って、私はこの浪人生がかわいそうに思えました。
自分の向き不向きに気付かず、親と口論も出来ず、独立する気概も持てなかった。
これはつまり、自分を知らなかったんじゃないかと考えたんです。
そこで、自然を最高の教師とする自然塾を開きました。
子どもたちで山に入って、お互いに切磋琢磨するんです。
自然とふれ合うことで、自分のしたいこと、なりたいもの、自分という人間が分かってきます。
そうすれば、そんな事件なんて起きなくなることでしょう。
その自然塾では、子どもたちに“優しくする”ということを教えます。
優しいとはどういうことでしょうか。
例えば、寒さに震えている子がいたとして、かわいそうだと同情する人と、あざ笑う人がいたとします。
この場合、かわいそうだと思っている人は、あざ笑っている人よりは優しいかもしれませんが、何もしていないのは両方一緒です。
寒さにおびえている子は全然助かっていないですよね。
これで、自分の服を脱いで着せてあげられれば、本当に優しいんです。
そのためには自分が寒さに耐えるか、あるいは着替えを蓄えておかないと実行できません。
つまり、強くなければ“優しく”することはできないんです。
事実、生存競争ですから、強くなければ生き残れません。
だけど、自分一人じゃ生きられないんです。
優しくする、人にいろいろ力を貸す。
だから、自分も力を貸してもらえるんです。
今、私は子どもたちにそういうことを教えています。