8月の声を聞くと、途端に人の動きが慌ただしくなります。
この新時代に?なってすらお盆となると、空港や駅は家族連れの帰省客や旅行者でごったがえします。
しかも、かねては人影を見かけることの少ないお寺の納骨堂や墓地までも、テレビのニュースで映し出されるほど混雑をきわめるのです。
お墓にお参りして、先立たれた人へ思いを巡らせ、手を合わせる人がほとんどでしょうが、いつの頃からか、私は別のことを考えるようになりました。
それは、お墓参りとはお互いの
「いのち」
が見えないところで繋がり合っていることを教えてくれる場なのではないかと確信するようになりました。
作家の五木寛之さんは、自身の著書で次のような話を紹介しておられます。
「ある大学の実験で、30cm四方・深さ56cmの木箱を作り、砂を入れ、一本のライ麦の苗を植えた。
水だけで90日間育てて、麦を引き抜き、目に見える根、顕微鏡でしか見えない全ての長さを測ってみた。
すると、その根の長さは11,200kmにもなった。
」
という話です。
たった一本のライ麦の根っこが、私たちの目に見えない砂の中で、水だけを頼りに90日間で、何と日本列島の約4倍にもなる根っこを張りめぐらせながら
「いのち」
を支えていたのです。
この事実に驚くと同時に、その余りの長さに愕然としました。
ある夏の終わり、ロサンゼルスに出かけ、一人で歩いても安全と教えられたベニズビーチを散策していた時の出来事です。
週末とはいえ、あまりの人の多さに海辺に目を向けると、海水浴を楽しむ家族を尻目に不思議な光景が広がっていました。
砂浜一面に真っ白な十字架がひしめき合っているのです。
新興宗教のイベントか何かのお祭りごとか…、と通りすぎようとしたそのとき、眼前の掲示板
「ARLINGTONWEST」
の文字を見つけました。
優に3,000を超すクロス。
星条旗に覆われた棺。
掲示板の単語を拾うと、一時的な墓地であることが理解できた。
イラクで倒れたアメリカ兵だけでなく、罪のないイラク市民、他国のジャーナリスト、行方不明の人々、全てのいのちに経緯を表すイベントでした。
戦争という名のもとに絶たれたいのち、理不尽な家族との別れ…。
家族を思う人間が流す涙には変わりはありません。
なぜなら、いのちはみんな繋がり合っているからです。