『亡き人から願われて手を合わす秋彼岸』

戸籍上は、百歳をゆうに超えている方が、実は数十年前に亡くなっていて、既にミイラ化した遺体がそのまま家の一室に放置してあった。

しかも、家族はその方の年金を受け取っていたという出来事がありました。

このことが、連日テレビで放映されて以降、住民登録のある百歳以上の方の調査が行われ、既に亡くなっているにもかかわらず死亡届けが出されていない人や、所在(生死)不明の方の数字が、次から次に各自治体から上がってきています。

医学的には、人間が生きられるのは百二十歳ぐらいが限度だと言われていますが、調査が進む中で、

「戸籍上では二百歳になる人が、まだ生きていることになっていた!」

という報告もなされるなど、驚くようなことが、連日新聞の紙面を賑わせています。

日本は世界一の長寿国であると言われていますが、このような報道に接すると

「本当に?」

といった感じがします。

実は、以前からこのような人達の存在が平均寿命を押し上げているのではないかということは、いろいろなところで密かにささやかれていました。

けれども、個人情報保護の問題もあり、実際に本格的な調査が行われるまでには至っていませんでした。

今回、ミイラ化された遺体が発見されたことにより、一斉に調査が行われたのですが、なぜ死亡の届け出がなされなかったのか。

その理由の一つに、年金支給の問題があるといわれています。

つまり経済的な困窮による生活苦から、亡くなった方の死亡届を出さなければ、その方の年金を手にすることが出来る。

そこで、悪いこととは知りながら、そのまま放置していたというのです。

中には、白骨化した親の遺骨を砕いて、鞄に詰めていたという人もあったりしました。

「貧(ひん)すれば鈍(どん)する」

という言葉があります。

「貧乏すると,正しい判断ができなくなってくる」

と言う意味ですが、まさにこの言葉を目の当たりにする出来事のように思われます。

今の日本では、給与所得者の内、年収二百万円以下の人が一千万人を超えるのだそうですが、おそらくそのような厳しい社会状況がこのような問題の背景にあるようにうかがえます。

亡くなった方の死亡届けを出さないままに、年金の不正受給をしていたという記事をしばしば目にしますが、懸命に働いてもなかなか困窮から抜け出せない…、それは自分の未来に対しても希望を持てない雰囲気を醸し出し、そのことが異常な犯罪を生み出す要因の一つにもなっているようです。

また

「衣食足りて礼節を知る」

という言葉もあります。

「生活が安定して、はじめて礼儀を重んじるゆとりが生まれる」

という意味です。

近年は

「少子高齢化」

が深刻な社会問題化していますが、これまで、どの国も経験したことのないような少子高齢化社会の到来により、年金の受給が出来なくなるのではないか、そういった将来に対する経済的不安、言い換えると老後の安定した生活を脅かす不安要素が解消されないことが、今の生活をも不安定にしているように感じる人が多いことに重なっているようです。

そして、生活が安定しないことが、礼節を知らない人の姿を見るようになったことの一因と考えられます。

このように、先人の方々が、その透徹した眼によって私達人間の本質を言い当てられた言葉が、現代においてもそのまま具現化していることを目の当たりにするにつけて、改めてその見識の深さに敬意を感じることです。

私たちは、亡き人からどのような生き方を願われているのでしょうか。

先人の方々の言葉に耳を傾けると共に、その往かれたみ跡を慕い、人間としてのいのちを生ききって行けるような在り方を学びたいものです。