『頑張れの声よりも共に泣ける心』

今年も運動会の季節になりました。

晴れ渡る秋空の下、校庭いっぱいに

「頑張れ、頑張れ」

の声援が響き渡ることでしょう。

「頑張れ」

とは、困難に耐えて努力してやり通すことで、スポーツや勉強,またお仕事など、私たちの日常いたるところ、あらゆる場面で人を励ます意味で使われますが、場合によっては、また使い方によっては逆に相手を大きく傷つけてしまいかねない言葉でもあります。

『私を見舞うために、毎日たくさんの方が病室に来てくださり、みんな

「頑張れ、頑張れ、しっかりしなきゃ」

と口々に励ましてくださいます。

しかし長時間の手術を受けて、その上、長期の入院生活で身も心も萎えてしまいそうな辛い毎日。

これ以上、私に何を頑張れというのですか』。

重い病気で入院されている患者さんの独り言です。

「頑張る」

とは、自分の考えを押し通す意味の

「我を張る」

が転じたという説もあり、場合によっては、相手の状況や気持ちをよく考えることのない極めて一方的な励ましや、他人事で言っているようにしか感じられない言葉になる危険をはらんでいます。

私たちが日頃聞かせていただく仏さまのお心は、

「慈悲の心」

と言われます。

それは、悲しみや苦しみに打ちひしがれる人びとの心にそっと寄り添い、その人がやがて立ち上がるときが来るまで共に悲しみ、共に苦しむ心です。

私たちは日常、いろんな人と出会い、様々な場面に遭遇しますが、この仏さまの慈悲の心に学びながら生活をしたいものです。

喜びは多くの人と分かち合えば二倍にも三倍にもなります。

逆に悲しみや苦しみは、親身になって相手の気持ちを受け止めることができたなら、そこに安らぎとぬくもりが生まれるかもしれません。

そのように多くの人と接することができるよう心がけたいものですね。