『苦労が多いことと不幸だということは違う』

『苦労』

とは、辞書によれば

「精神的・肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること」

と説明されています。

一般に、好んで苦労をしたい、あるいは多くの苦労を味わいたいという方は、なかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。

時に、

「苦労が多いことは不幸なことである」

というように考えている方が少なからずいらっしゃるようです。

たしかに、苦労ばかりしていると、

「なんで自分ばかりがこんなに大変なんだ」

とか、

「もっと楽な状態でいたい(なりたい)」

という気持ちになることがあります。

そして、そのような状態が続くと、あたかも

「自分の人生は苦労ばかりで、不幸な状態なのでは…」

と錯覚してしまうことがあります。

もしかすると、私たちはいつのまにか、

「自分の思い通りにならず苦労することは不幸なことであり、自分の思い通りになり苦労しないことが幸福なことである」

というように考えてしまっているのではないでしょうか。

仏教を説かれたお釈迦さまは、

「この世の中は自分の思い通りにならないことで満ち満ちている」

と教えて下さいました。

しかし、

『苦しいことは不幸なことだ』

とか、

『苦労が多いことは不幸なことだ』

とは、

どこにも説いてはおられません。

したがって、苦労が絶えなかったり、世の中のことが自分の思い通りにならなかったりすると、

「自分は不幸な人生を生きている」

と考えてしまうことは、私たちの思い違いだといわなくてはなりません。

そういえば

『若い時の苦労は、買ってでもせよ』

という言葉を耳にすることがあります。

これは

「若い時の苦労は、その体験が将来役に立つから、自分から買ってでも苦労をしなさい」

という意味です。

ですから、今あなたが大きな苦労に直面して、

「こんな大変なことなんかしたくない」

と思っても、そこで逃げ出さず踏みとどまって取り組めば、そのことが後になってみると、あなたの大切な財産として身を助けることがあったりするものです。

あるいは、その時には無駄なことだったと思ったとしても、本当にそうだったのかどうかは、人生の終わる時にしかわからないものです。

けれども、この言葉が私たちに語りかけているのは、きっと

「人生には無駄なことはひともない」

ということではないでしょうか。

例えば、風邪などの病気(苦労)を通して、改めて健康のありがたさに気付くことができます。

また、誰かとケンカをして自分が辛い目にあったりすることで、はじめて相手を思いやることの大切さを身をもって感じたりすることもあります。

そういった様々な苦労を通して、私たちは本当の自分の

『いのち』

の姿を感じていくことができるのではないでしょうか。

苦労を通して学び感じたことを大切にしながら、

『いのち』

という大きな花を咲かせていきたいものですね。